春の憂い 1



ようやく日差しが確かな暖かみを帯び、
桜の花が八分か九分咲きになった頃。

忍術学園では、教師たちによって恒例の花見が開かれる。


さすがに酒の振舞われる席であるから生徒たちはいないが、
日頃の疲れを労われ宴を楽しむのは、教師たちだけではなく。

方々に散る学園関係者をこの機に招き寄せるのが習慣となっていた。

彼らから他愛ない世間話を聞き、
近隣諸国の情勢を伺うこともまた重要な目的である。

そういうわけで、
忍術学園教師・山田伝蔵の一人息子、利吉も宴に招かれていた訳だが、
その到着を心密かに今か今かと待ち望む男が一人。

伝蔵の同僚・土井半助、である。

次第に温まってくる宴席で、先輩教師や関係者の世話をしつつ、
チラチラと当たりを見回していると。


「失礼致します。」


爽やかな声音と共に、下座の襖がスラリと開いた。
仕事先から急ぎ直行してきたようで、うっすらと頬が上気している。

まさしく紅顔白皙の十八歳、利吉本人であった。


その姿が宴の末席に加わった途端、驚くほど場が華やいだ。

無理も無い。薹のたった黒装束男ばかりいる場所に、
前髪立ちの若人が現れたのだ。

人々の視線は自然に彼に集中する。


「学園長、お招き頂き有難う御座います。
 父上、お邪魔致します。」


開口一番、素早く明朗に挨拶して回る姿も好ましい。

そつのない仕草につい見惚れていた土井だったが、
ようやく自分にもその視線と挨拶が向けられる順番が回ってきて、
心臓がドキリと跳ねる。

ちょっと前髪などを整えて、緩んだ表情を引き締めて。
土井は精一杯、精悍な笑顔を浮かべて見せる。


「や、やぁ!利吉君、いらっしゃい。」
「土井先生、ご無沙汰しておりま…」


少し色素の薄い瞳と視線が絡む、まさに至福の瞬間…は
無遠慮な大声によってあっけなく崩壊した。


「おおー!利吉!よう来たー!」
「大木先生!」


あっという間に視線を持っていかれて、呆然とする土井。
恨めしく見据える先には声の主。
元学園教師、大木雅之助である。


「ちょ…っ」


うろたえる土井のことなどお構い無しで、
ずかずかと雅之助は歩み寄り利吉の隣に腰を下ろした。

黒装束の集団の中にあって、大木と利吉の小袖は鮮やかである。

やけに二人でいる光景が絵になっているようで、
ただでさえ土井としては面白くない。のに。


「久しぶり…って訳でもないか!一週間前に
 ワシの家でサシで飲んだばかりだしな!」

その何気ない一言に、耳を疑う。


“な、何だってえええええええ!!”


自分なんて、今日、三ヶ月と二週間と二日ぶりにやっと利吉に会えたのだ。
それなのに大木は頻々利吉と二人きりで親しく飲んでいる事実を、
聞き逃せる筈があろうか!
いやない!!

しかも、利吉を挟んで大木と伝蔵が親しげに話し始める。


「なんじゃ、利吉。大木先生にご迷惑をかけてはいかんぞ。」
「いやいや山田先生。利吉は仕事で売り歩く野菜を買いに来てくれただけです。
 むしろ現金が手に入ってワシとしても助かる。」


僻目で眺めるばかりの土井は、当然その輪へ入っていけなかった。


“なんだ!あの、親公認みたいな空気〜…!”


目の前で、利吉が他の男と笑い合っていることが悔しい。
時々、不必要に大木の手が利吉の薄い肩に触れる度、苛立つ。

いくら一年は組の担任をやって忍耐力がついたとは言え、
我慢にも限度というものがあろう。

折角、折角、利吉とゆっくり話せる稀有な機会なのだ。
あんなラッキョバカに利吉の視線を奪われ続けるなど、あってはならない。

ぎらりと目を光らせ、


“中途半端に助平の汚名返上!
 使えるものは何でも使わせて頂きますよ……………野村先生!”


電光石火の早業で、ラッキョをひとかけら、同僚と歓談中の野村の皿へ乗せる。

当然ながら次の瞬間には、酒の肴をつまもうと箸を伸ばした野村の表情が、
あからさまな不快感に満ちていた。

内心ガッツポーズを繰り出しつつ、しかし抜かりなく耳打ちすることを忘れない。


「おやぁ…?大木先生の仕業じゃないですか?」
「何ィ!あの…ラッキョ馬鹿が!…これでもくらえ!!」


まんまと引っかかった野村が投げた棒手裏剣は、
するめに手を伸ばそうとしていた大木の指先をかすめ、
重たげな金属音を響かせて板間にめり混んだ。


「ひぃ!!!」
「うわあ!!」


伝蔵・利吉・大木の輪が瓦解したのは言うまでもない。
土井は心中ほくそ笑んだ。


「な、なんじゃぁ!野村!」
「しらばっくれるか、このラッキョは貴様の仕業だろう?!卑怯者め!!」
「利吉の前で、卑怯者呼ばわりとは…聞き捨てならんな。」


土井の思惑通り、互いに真偽も確かめず乱闘を始めてくれる。

さらにタイミング良く、伝蔵は学園長に呼ばれて行ったため、
利吉が一人になったではないか。

今度こそ、と土井はそわそわ咳払いをしながら
気遣うふりをして利吉の側に再び腰を落ち着けた。


「…巻き込まれなかったかい?利吉君。」
「あっ、はい、大丈夫です。」


有難う御座います、と微笑む仕草がまた愛らしい。
ああ、この笑顔が自分だけに向けられるものであればどんなにいいか。


“…なんて嘆いている暇はないけどな!!”


土井は声にならない怨嗟を叫びながら、密かに目を光らせた。


さっきの大木と利吉のやり取りを聞く限り、
学園から出ることの少ない我が身は既にかなりの遅れを取っていると判断していい。

こうして時々利吉を見て幸福感に浸るなんていう
少女マンガのごとき温い恋愛ごっこは、もうお終いにしなければならないのだ。







2へ続く

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