春の憂い 2


土井も昔は「学園一のハンサム」なんて謳われて、利吉とは
たった二人しかいない、忍たま界のまともなアダルト美形キャラ同士
こりゃもう結ばれるのは必然!といった空気だった(と思う)。

が、しかし昨今若手が台頭し、「お前ら今までどこにいたっけ?」と
言いたくなるような美形キャラがぞろぞろと表舞台に現れた。

そう、土井が内心誇りに思っていた「学園一のハンサム」ポジションは、
正直風前の灯である。
一刻も早く挽回せねば、新参者に奪われかねない。


そういう大人の事情もあって、実は、土井は
今年の花見に自らの恋の命運を懸けていた。


何としても利吉との距離を縮めたい。
そして、さりげなく、二人きりで出かける約束を取り付けたいのだ。

千載一遇のチャンスを逃がさず、喧騒に紛れて
土井は利吉を宴席の外へと促す。


「利吉君、あ…あのさ、久しぶりに会えたし、ゆっくり縁側で話さないか?」
「え?…はい。喜んで。」


こちらの意図を汲みかねながらも、すぐに笑顔で頷いてくれる気遣いが嬉しい。
ぎりぎり宴席の様子が耳に届く距離まで離れて、
襖を閉めてから、二人縁側に腰を下ろす。



春の陽気が柔らかく差すその場所からは、
桜の木が程近い。

時折、春風が一片二片、花びらを眼前に散り落としてくるのを眺め、
利吉がぽつりと呟く。


「もう桜の季節なんですね。」
「…え、うん。そうだね。」


こちらの邪な思いが後ろめたくなるような一言に、
ヒヤリとしつつ相槌を打つ。

ふと、改めて見やった視線の先には、
春霞に一層輝く利吉の横顔があった。


まだ若干まろみを残した頬から、
細い頤をたどり、首筋へ流れる曲線。

春風に揺れる、色素の薄い艶やかな後れ毛。


何より、柔らかそうなうなじの肌理に、
土井は思わずごくりと唾を飲み込まずにはいられない。


なにせ、ちょっと手を伸ばせば簡単に触れられる距離なのだ。

実行に移すことは容易い。
しかし問題は触れた後。

道ならぬ恋である。

想いを受け容れて貰える自信など毛ほどもないが、
このままただ指をくわえて利吉が誰かのものになるのを
見ているなんて出来なかった。


「利吉君。」
「はい。」
「その、今度、学園の外で…二人きりで会えないかな。」


土井は覚悟を決めながら、静かにゆっくり語りかける。


「……え」


目を瞬かせる利吉。

なぜいきなり自分がそんなことを言い出すのか
検討もつかないのだろう。
戸惑わせているのが肌で感じられ、正直つらい。

けれど、もう迷っている時間など残されていない。
土井は、気配を探るように宴席の方向を横目で確かめる。


“大木先生も、たぶん…本気だ…。”


大木はあの通り飄々とした人間だから、本心は土井にさえ計り知れない。
ただ、利吉を見る目は、明らかに周囲とは異なっている。

視線が「愛しい、愛しい」「大切だ、大切だ」と
静かに暖かく語りかけているのを見る度、
利吉君はそれに気づいているのか、と不安に襲われるのだ。

しかもずっと学園にいる土井と違って、
大木は時間や場所を気にせず、利吉と行動を共に出来る。
利吉がつらい時も傷ついた時も、傍にいて涙を拭ってやることが出来る。

そして、土井の勘が外れていなければ、
大木は利吉の心に恋愛の余裕が出来るまで、
ずっと辛抱強く待っている。

土井が利吉への想いを自覚する、そのもっと以前から。


環境も時間も自分と大木との差は考えれば考えるほど大きく絶望的で、
土井には、今足掻かなければ、機会はもう残されていないような焦りがあった。

胸中に過ぎる不穏な予感を断ち切るため、言葉を続ける。


「実は、来週末たまたま空き時間ができてね。ほら、桜も綺麗な季節だし。」
「あ、そうなのですか。」

「うん、で、学園の中ばっかりにいるのも何だから、
 町に出て見物でもしようかと思うんだけど。」
「それは素敵ですね。」

「でも、独りで物見遊山ってのも寂しいし」
「またまた〜。いい人がいらっしゃるんじゃないんですか?」

「…そんなのいる訳ないだろ!!」
「あ…す、すみませ…」
「いや、違うんだそうじゃなくて。
 だから、その、利吉君さえよければ……一緒に…って」


極力明るく自然に誘おうとしたが、どんどん言い訳がましく聞こえて、
語尾に至っては振り絞るような声音になってしまった。

情けない、と思いつつも、それでもどうしても利吉と二人で会いたくて、
土井は小さく拳を握り、想い人を見つめた。

当の利吉は一瞬表情を固まらせたが、やがてニコッと笑みを作った。


「―…じゃあ折角ですし、ご一緒させて下さい。」
「ほ…本当かい!!??」
「ええ」
「…っ!…っ!!ありがとう!!!」


念願の二人きりの逢瀬。
そのお膳が整ってこそ、誰にも邪魔されずに、
利吉に想いの丈を告白できるというものだ。

これが喜ばずにいられようか。

目の前でニコニコと微笑む利吉が、眩暈がするほど可愛らしい。
許されるなら、肩を抱き寄せて腕の中に納めてしまいたかった。



が、心中激しく舞い上がった土井に、
利吉が一言補足した。


「あ、ですが、来週は大木先生の農作業のお手伝いをすることになってますので、
 杭瀬村から直接、待ち合わせ場所まで向かわせて頂きますね。」

「…!!!???お、大木先生…?!」


鈍器で頭を殴られたような衝撃が土井を襲う。
聞き捨てならない、どころの話ではなかった。


「そうなんです。あの人には普段からお世話になってますけど、
 色々強引に約束を取りつけられることが多くって…。」


苦笑する利吉の声がどこか遠く響く。


だって、先日大木宅で酒を飲んだと行っていたではないか。
なのにまた来週、利吉を家へ来させるなんて。


「り、利吉君だって仕事で忙しいのに、大木先生も困った人だね…。」
「でしょう!…まぁ……でもなんでか、あの人ならしょうがないって
 思っちゃうんですけどね、結局。」


恐らく大木を脳裏に浮かべているのだろう、
少し遠い目をして利吉が微笑んだ。


「!」


その笑みにさえ、いつもの土井なら見とれていただろうが。
咄嗟に明確な危機感が体を貫いて、土井は言葉を失った。


―明らかに。
明らかに、さっきの利吉の言い方は。
大木が利吉にとって特別な存在になりつつある、ということだ。

本人が気づいていないだけで。
土井が全く与り知らぬ学園の外で、二人の距離は確実に縮んできている
ということだ。



さっきとは全く異なる動悸が、ドクドクと土井の心臓を揺さぶる。


「…―そう、なん、だ。」
「?土井、先生?」


茫然自失の土井の表情を覗き込む利吉。

そのキョトンとした雰囲気も、常日頃なら脳裏に焼き付けて
夜な夜な布団の中で思い出してはジタバタすること間違い無しの
可愛さである。

が、今はそんな脳内メモリーなんて薄甘いものでは全く足りず、
叶うことなら今この場で、利吉に口付けてしまいたくて仕方ない。



“…―大木先生に利吉君の心を奪われてしまう前に”



「利吉君」


すっと利吉の頬へ手を伸ばす。
そのまま輪郭をなぞる様に、ゆっくり首元へ。


「…?ぇ…っ」


吸い寄せられるように顔を寄せた。

吐息もかかりそうな距離で見る利吉の茶色い瞳孔が、
驚きと戸惑いにきゅうっと小さくなるのが見えて。


けれど、それ以上近づくことはなく、
土井はパッと身を離す。

そして、利吉の眼前で手のひらを広げて見せる。


「花びら、付いてたよ。」
「――…」


ありがとうございます、と言おうとしたのだろう。
どこか安堵した表情で「あ」と口を開いた直後、
その場に「利吉〜!」という声が響き渡った。

声の主は彼の父、山田伝蔵のようだったが、
ちょっとの間に随分と出来上がっているらしい。
返事が聞こえないとなると、さらに呼び声は頻度を増した。


「もう、父上は…!土井先生、少し失礼して行ってきますね。」


慌てて呼び声のほうへ馳せ参じる利吉。


土井は、想い人が去ってしまった縁側に、そのまま一人佇む。

利吉の肩から摘み取った花びらを、手放すことが出来なかった。







3へ続く

inserted by FC2 system