春の憂い 4


道中、饅頭や甘酒を買い食いしては、
学園の他愛ない近況を面白おかしく語って聞かせる。


そんな土井に連られ、最初はぎこちなさもあった利吉も
並んで歩いているうちに、やがて年相応の笑顔をこぼすようになった。

特に予定がある訳でもない。
散歩のように景色を楽しみながら、さらに里山を越え
普段滅多に来られない町をのんびりとぶらつく。


橋のたもとまで来ると、眼下に広がる河原が一層の活気を見せていた。


時折歓声が上がるのは、猿楽師による興行である。
跳丸(ちょうがん)・刀玉(とうぎょく)・弄槍(ろうそう)といった曲芸や、
透梯(とうてい)・走索(そうさく)といった軽業、
猿回しに犬の芸・・・様々な芸能が人々の目を楽しませてやまない。

他にも土手の桜を肴に宴を繰り広げる者がいたり、
川岸に繋いだ小舟へ傘を差し、見物客たちを誘う遊び女たちもいる。
皆思い思いにうららかな春を満喫しているようだった。



「うわぁ、賑わっていますねぇ」

その様子に心なし利吉の声音も弾む。


「本当だ。利吉君、折角だしちょっと見物して行こう。付き合ってくれるかい?」
「ええ、もちろん!」


河原に下りてゆくと物見の客が行き交い、肩がぶつかる程だ。
人混みこそ好機とばかりに土井は利吉の手を握った。


「!」
「はぐれないように。」


そう諭せば、驚いた利吉も控え目に握り返してくれる。
自分より少し体温の低いその手。
こんな風に繋いだのは初めてだった。



編笠を被り羽織を着た男たち、槍や長刀を持った男たちもいる。
縫うように進み、一際賑やかな小屋の前に出た。
中では、踊と芝居が行われているらしい。

「此うちにおいて さるごう
 御座候 御のそミのかたかた
 御見物なさるへく候」

そんな書付を眺めながら、「観ていくかい?」と土井が促せば、
利吉は柔和な笑顔を零して誘いに応じた。


小屋の周囲は竹矢来に筵張り。
ねずみ木戸と呼ばれる入り口の右では、
こん棒を手にした赤い覆面の男に客が入場料を支払っている。


土井が銭見世であらかじめ両替しておいたビン銭を払って
中に入れば、既に黒山の人だかり。


櫓は板で組まれ奥桟敷も中々どうして立派なものである。
彩色鮮やかな鶴丸紋の幕を引き回し、櫓上には太鼓を置き
熊手・毛槍・差股の三つ道具が立っていた。


見やすいように利吉を前へやり、その背を守るように立ったのだが。
まだ後から客が詰め寄せるので、土井は押されて利吉の背にぶつかる。


「おわ・・・っ」
「大丈夫ですか?!土井せん…っ」
「!あ、ああ。ごめん、大丈夫」


思わず振り向いた利吉と、口唇が触れ合いそうなほどの近さ。


互いに慌てて視線を外すが、観衆に押され
そのままぴたりと密着せざるを得なかった。


白く柔らかな十八歳のうなじが眼前にあるだけでも目の毒なのに。
図らずも後ろから利吉の体を抱き込むような形になり、
土井は自らの腕と手のやり場に非常に困ってしまう。

このまま抱きしめてしまえたら、と逸る心を抑え込み、
同時に、あらぬ所に集まってしまいそうな血流を必死で鎮める。


身じろぎすらできない立ち見の満員御礼。
土井の葛藤をよそに演目は始まり、大盛況のうちに幕を下ろしていった。



***



そうしてそろそろ昼も過ぎた頃。
土井と利吉は、河原を後にしながら再び町を歩き始める。


「京の猿楽一座が来ていたとは。演目も流石でした。」
「そうだね、嬉しい偶然だったね。」
「有り難うございます、土井先生。」


まだ興奮冷めやらぬといった風情で楽しそうに語る利吉に
うんうん、と大きく頷きを返す土井。


だが。
もちろん…偶然ではない。


前もって土井は入念に調べていた。
この辺りの河原に都で人気を博した猿楽一座が来ていると
噂は聞いていたし、実は先週すでに一度下見も済ませている。


一世一代の告白を控えた逢瀬で、退屈な演目など論外。
利吉なら軍記物など好きだろうが、
あまりに堅すぎても味気がない。
程良く色恋や人情を含み、さりとて下品になりすぎず
しかも利吉が喜んで自分の評価も上がるような…


若干欲に眩んでいる気はあるものの
その土井の目に適う演目だったからこそ、
今日この河原に利吉を連れてこれた。


“まぁ、あんな密着して観られたのは、嬉しい誤算だったけど”



非常に順調に二人の逢瀬は進んでいる。

あとは手近な所で昼餉、そして日が傾き始める頃に
里外れの桜を見ながら告白!
――・・・そんな筋書きを粛々と実行に移してゆくだけ。


「そうだ!お腹も空いたし、そこいらで昼にしようか、利吉君。」


すっかり気分を良くした土井が次の行動に出た、その瞬間。


「利吉サン!?土井センセイ!」


そこに立っていたのは、ポルトガルの商人
クエン・カステーラだった。








5へ続く
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