春の憂い 5


思わぬ闖入者。

知り合いのいない町に、と言う思惑が外れて、
土井は内心がっくりと肩を落とした。

が、二人を見つけたカステーラはすこぶる嬉しそうで、
その足取りは軽い。


「イイお天気ですネー♪」
「どうもご無沙汰してます。」

「カステーラさん…」


土井の隣りで、利吉が表情をほんの少し強張らせる。
そのまま軽い会釈だけして、土井の半歩後ろにスッと下がった。

「?」

人当たりの良い彼が珍しい…と思ったが、
直後、その理由を痛感する。

カステーラが挨拶もそこそこに、
ズイと踏み込んで親しげに利吉の肩へ手を伸ばしたのだ。


「?!」
「お仕事中デスカ?」
「いえ、そういう訳じゃないです、けど」


長身のカステーラが迫ると、圧迫感もまた凄い。
露骨なアプローチに、利吉の笑顔がさらに引き攣るが、


「それは良かっタ♪こんな所で会えるなんて、エンがありますネ〜」


カステーラが空気を読む筈もなく。
気まずい空気に、土井は状況をただハラハラと眺めるばかり。

しかし、折に触れて不必要に肩を撫で回す
カステーラの動作が、猛烈に土井の癇に障る。

もちろん異国の人間はスキンシップが多いと言うのは承知の上。
にしても馴れ馴れしすぎやしないだろうか…!


“だいたい、この男も…油断ならないんだよなぁ…。”


経済情勢を知るために、福富屋つながりで
利吉がカステーラと接触するのは、まぁ仕方ない。


だが。
同じく学園関係者でありながら、利吉の避難勧告に従わなかったり、
そうかと思えば、学園バザーで利吉と待ち合わせしたり。
ここ最近、カステーラも利吉に急接近している要注意人物。
土井の恋敵リストに上ってきているのだ。

どんな下心を持ってるか分かったもんじゃないし、
“ご一緒していいデスカ?”なんて言いだされては堪らない。

きりの良いタイミングを見計らって、
さっさとカステーラを引き離し、二人だけの時間を取り戻さないと…
そんな事を思って様子を伺っていた矢先。


「そういえば、利吉サン。
 ポルトガル行きのこと、考えて下さいましたカ?」

軽いカステーラの問いかけに対し、一番に反応したのは、



「………ええええええっ!!?」


利吉ではなく、土井の絶叫だった。


「な、な、…りき……えっ?!」


驚きのあまり、土井はカステーラと利吉の顔を
交互に見て言葉を失う。


「ああ、もう…カステーラさん!
 誤解を生むような発言は止して下さいよ。
 私は当分、ご一緒することは出来ないって
 何度も申しあげてるじゃないですか!!」


呆れ顔で抗議する利吉に、カステーラはオオゥと上体を仰け反らせる。
そして、胸元のロザリオに手を当てながら大げさに嘆いてみせた。


「残念デース。でもワタシは諦めませんカラネ。
 アナタには可能性がある。
 いつか、必ず、こんな狭いクニを抜け出して、
 一緒に世界を回りまショウ。」


その口ぶりは、全く懲りていないどころか
まるでいずれそうなる運命だと言わんばかりの自信に満ち溢れている。
利吉の素質・才能を見抜き、
彼の未来のためにはそれが一番だと信じているのだ。


それに比べて、下心がどうの…なんて
視野の狭い嫉妬をしていた自分が情けない。

後味の悪い敗北感に身動きできなくなった土井だったが、
なにやらお付きの人足が
カステーラに出港の時刻を耳打ちしてくれたため、
立ち話も早々にお開きとなった。


「オット、時間のようデス。
 それでは土井先生。……利吉サン、また近いうちに♪」


紅毛の異国人は、ごくごく当たり前に
利吉の手の甲に口づけを落とし去って行った。



***



まるで嵐が去った後のよう…と形容すべきか。
二人は、その場に呆然と立ち尽くす。

急に黙りこくった土井を気遣い、おずおずと利吉は頭を下げた。


「すみません、土井先生…。
 あの、今のはカステーラさんの冗談ですから、
 気にしないで下さいね。」
「え?あっ!…うん…そう、だね。」


力なく笑ってみせるが、実際
土井の意識はもう完全にそれどころではない。
頭を思いっきり殴られたような衝撃だった。


“…ポ……ポルト、ガ、ル…?!”


あまりに遠い、遠すぎる、行ったこともない
異国の地の名前を反芻するだけで、目の前が真っ暗になりそうだ。
さっき「当分ご一緒することは出来ない」と言っていた。
当分…ということは、可能性が全く無い訳じゃない。

確かに利吉君は前途のある青年だ。
カステーラの立場なら、右腕として育て、
このちっぽけな島国から連れ出したくなるのも分かる。

何も活躍の舞台をこの国だけに限定する必要なんてない。


…というのに。
なぜ、ずっと自分の傍にいるだなんて
都合のいい解釈をしていたんだろう。

利吉君に近づこうと、距離を縮めようとしていたはずが、
知れば知るほど手の届かない存在に思えるなんて。



“うう…っ”

ぐるぐると渦巻く思考。
気づいてしまった現実に、心臓が早鐘のように高鳴り
胃がキリキリと痛みだす。


「?土井先生?」
「…っ!ああ…ごめん。ちょっと持病の胃痛が出たの、かも」


取り繕って作り笑いを浮かべるけれど、利吉の声はどこか遠く。
消えない焦りと不安、胃の痛みばかりが意識を蝕み始めた。


「先生、何だか顔色が優れませんよ。どこか…横になれる所で休みますか?」
「すまない、利吉君…。そうだね、少しだけその辺で」


胃がギリッと痛みを訴え、体が「く」の字に折れ曲がる。


「ア、イタタタタ…!」


往来の垣根に身を寄せてよたよたと進む土井。
ふと顔を上げたその先にひっそりと佇んでいたのは、一堂の寺。
外れて歪んだ木戸と、穴の開いた瓦葺の屋根が
もう長いこと人の手が入っていない様子を物語っている。


「ちょうど良かった。あの廃寺で休ませてもらいましょう。」

利吉が駆け寄り、土井の背中に手を添える。

「さ、先生。宜しければ肩を…」


遠慮しがちに触れられたその瞬間、
嘘のように痛みがスッと楽になったのだが…
なぜか言い出せず。


「ごめん。」


土井は謝罪の言葉を口にしてから、利吉の肩を掴む。
想像以上に薄いその肩は土井の胸にまた違った痛みをもたらした。







6へ続く
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