春の憂い 7


劣情は募るばかり。

抱き込んだ身体の感触をもっと味わいたいと、
自然と腕にも力がこもる。

ピタリ密着した胸元から利吉の鼓動の早さが伝わって、
余計愛しさに拍車をかけた。


けれど、どうもおかしい。
土井の突然の抱擁に対して、反応がなさすぎるのだ。
すぐに突き飛ばされるかと思いきや、一向に抵抗はない。
かといって、自分の背に手が伸ばされることもない。

はしばみ色の髪に唇を寄せようとして気付いたのは、
その耳朶がやけに紅いこと。


“……あれ?”


怪訝に思って上体だけ起こし、利吉の様子を伺えば。
土井の腕の中で風呂敷を握り締め、見事に硬直しているではないか。
息を止め、目は瞬きを忘れ、口は一文字に結んだまま。
見事なまでの茹蛸状態である。


「―…り、利吉、くん?」
「っ!!」


覗き込んでみると、至近距離でぶつかる視線。
その途端、全力で視線を逸らされた。

カッとさらに赤みが増す頬。
風呂敷を握り締めたままの指先は、力が込められすぎて対照的に白い。
どう反応したら良いか分からない、そんな強烈な戸惑い。


“あちゃ〜…これは…”


確かにもともと利吉は色恋に興味があるようには見えなかった。
に、しても予想を遥かに上回る初心な反応で、いささか面食らう。

たぶんこれが、自分のように学園関係者でさえなければ
すげなく拒絶されていただろうが、
利吉の「身内」への甘さはこんな状況で尚、有効であるらしい。


しかも土井は、言わば身内中の身内。
彼の父親の最も近しい同僚なのだ。
その父親の同僚から、知り合って6年経った今頃、
突然「好きだ」と告白されて抱きしめられるなんて、
思ってもみなかった事態が起きている。
見るも無残な混乱ぶりは、当然と言えば当然なのかもしれなかった。


骨組みだけの障子から、傾きかけた西陽が差し込み、
うつむく青年の目元に長い睫毛の影を落としている。
憂いと羞恥をたっぷりと含んだ十八歳は、今この時だけどこまでも無防備で。


“――――…隙だらけ、だな。”


どうしたものかという逡巡より、
困らせている罪悪感より、
つけこみたい中途半端な助平心が勝っていく。
湧き上がる感情を抑えきれず、細い頤に手を添え、
自分を見るようにそっと促せば。


怯えに揺れる瞳孔。
土井はそれをありったけの情熱を込めて真っ直ぐに見据える。

逃げないでくれ、と一瞬だけ卑怯な願いを心で叫びながら。
そのまま、
驚きに薄く開いた利吉の口唇を攫った。


「!!!」


すかさず両手で頬を頤を固定し、
自らの持て余した感情を注ぎ込むように
幾度も口付けを重ねる土井。


長く焦がれた末やっとありつけた利吉の口唇は
やはり柔らかくどこまでも甘く、心は束の間歓喜に震えた。


***


しかし、夢心地の瞬間は長くは続かない。
次第にその口付けが深みを増し、
土井の舌が利吉の口腔に進入した途端、
さすがの利吉も抵抗の意を強烈に表し始める。


「待っ……!せんせ…っ!」


両の手を突っ張り、今度は確かな力で相手の胸を押し返す。
土井も、これ以上触れることができない限界を悟り、素直に身を引いた。
とにかく自分の想いは利吉に伝えられたのだ。
そして大人しく利吉から紡がれる言葉を待った。


利吉はしばしの間、口を鯉のようにパクパクさせていたが、
やがてうつむき加減のまま、一声を発した。


「あ、あの!」
「うん」
「あ、有り難う御座います。
「土井先生の、お、お気持ちは、私などにもったいないくらい、で」
「…うん」


たどたどしい利吉の声。やっとの思いで振り絞られた声音は、
土井への敬意と配慮で優しく震える。
低く穏やかな土井の相槌が、途切れてしまいそうな会話を繋いでゆく。


「あの、――…本当に有り難くて、…ですが」
「…うん」
「今は、全然、い、色恋に心を割ける余裕もなく…」
「…ん」


またしばらくの沈黙の後、利吉は消え入りそうな声で
「申し訳ありません。」
と呟いた。








8へ続く
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