春の憂い 8


「申し訳ありません。」を最後に、
利吉からの返事はひとまず終わったようだった。


その瞬間、土井の心を覆ったもの…
それは自分でも意外なほどの“安堵”。


だって、「今は」と利吉は言ったのだ。
彼の言葉をそのまま信用するのであれば、
可能性が皆無という訳ではないし、男色を厭う態度も
強引に口付けたというのに嫌われてしまった様子も無い。

とっさの返答は謝罪の言葉ではあったが、
土井の望みを完全に断ち切る類の決定打ではない。

最初から相思相愛なんていう順風満帆を
想定していなかった土井にとっては現状がすでに大収穫。
都合よく解釈すれば「ただ時期尚早だった」…それだけのことだと。
土井はホッと息をつく。



それを機に、さっきまでの緊張感がほどけて二人の表情が緩む。
僅かだが望みが先へ繋がったことに安堵して、
土井の口からは率直な弱音も零れ始めた。


「うん、…まぁそうだろうなぁと頭では分かっていたんだけど。」
「え」

「でも君が他の誰かに取られてしまいそうで、
 どこかへ行ってしまいそうで…
 自分の気持ちを知っておいて欲しくて。焦ってしまった。
 ごめんよ、利吉君。」

「そんな。私はまだまだ勉強の身ですから、誰かなんて有り得ません。
 どこへも行きません。学園の皆に会いにいきます。」

「学園の皆、か。」


そんな弁明にさえ浅ましい嫉妬を覚え、土井は少しだけ食い下がる。


「―…その中に私もまだ入ってる?」
「え、も、もちろんです。」


たじろぎながらも、嬉しい言葉を返してくれる利吉に
土井は確信を得る。
この恋は終わるどころか、今やっと動き出したばかりなのだと。


目の前にいる、得がたい人の心はまだ蕾。
ほんの十八。
ならば、この手で綻ばせ、咲かせ、慈しみたい。
いずれ“この世の春”を迎えるために。


「一番に、とは言わないけど、できれば山田先生の次くらいには、
 私に会いに来てくれると嬉しいなぁ。」


言いながら手を握り、惜しむように口唇を押し付ける。
案の定その手はすぐに驚きと共に振り解かれてしまったが。
赤らんだ表情のまま、


「…〜っ、ぜ、善処、します…」


そんな健気な意気込みを聞かされては、土井も絶句せざるをえない。


「!…君って子は…」


告白は無駄ではなかった。
利吉の心に、きちんと自らの存在が焼きついている。
土井はその場で心から喜びに微笑んだ。


「ああ、待ってる。君が学園に来てくれるのを。」
「はい。」
「それから君が、思いを受け容れてくれる日を。」
「は……ぇ…?」
「なるべく自制するけど、我慢できなくなったらごめん。」
「っ!?」


余計な一言が多くて、中途半端に助平なのは
もう業だと思って諦めた。








9へ続く
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