春の憂い 9


告白から二日ほど後のことである。


すっかり散ってしまった桜の木を眺め、
利吉を想いながら土井が食堂で一人茶を啜っていると、
勝手口から大きな甕を抱えた男が入ってきた。

甕の中身はお手製ラッキョ漬け。
来訪者は大木雅之助だった。


「あれ、大木先生。」
「おお、土井先生。」


ラッキョの配達を頼んだであろうおばちゃんは、ちょうど留守にしている。
土井がそれを伝え、代わりに荷物を引き受けようと腰を上げた時。


「そういや、土井先生」


土間に甕を置いて、土井の方に向き直る大木。そして


「土井先生は、利吉をどうしたいんです?」
「は?」


厠の場所でも聞くようにサラリと、
あっけらかんと質問が投げかけられた。

あまりにも短刀直入な問いに、土井は完全に意表を突かれて固まってしまう。
なぜ知っているのか、誰から聞いたのか…。
怪訝に渦巻く土井の思考を大木が掠め取った。


「ほら、三日前に利吉と約束があったんでしょう?
 その前日、あいつに野良仕事を手伝ってもらっていたら遅くなりましてね。
 ウチで一泊してったんですが。」


そう言われれば「杭瀬村から直接行く」と言っていたような気がするが、
告白のドタバタですっかり忘れていた。


「朝方、土井先生の御宅へ行くとか言ってましたんで。
 別段仕事でもなさそうだし、珍しいこともあるなぁって。」
「…。」


他愛ない世間話のような軽さとは裏腹に、
値踏みするかのごとき視線は、どこか緊張感を孕んでいて。

さしずめ恋敵の敵情視察。

学園の教師と関係者の会話ではなくなっていた。
一人の男として、想い人を奪い合う闘いの火蓋が
今水面下で切って落とされたに等しい。

土井としても勘付かれているのであれば、恋敵相手にとぼける必要はない。
かと言って、ペラペラこちらの繊細な現状を話す気にもなれなくて


「別に…大木先生には関係ないことですよ」


努めて素っ気なく答える。
普段の土井らしからぬ態度ではあるが、大木とて怯まない。
当然それで引き下がる事なく、不敵な笑みで応酬する。


「ま、大体予想がつくんですよ?
 最近はあいつ、前にも増して引く手数多ですからね。焦るのも分かります。」
「!」

「例えば―…利吉を誘い出して告白。
 ところがあんまり戸惑うんで、嫌われてる風でもないし、
 自分のことを考えてくれと頼んで一旦様子見…ってところかな?」
「う!!!」


超図星。
まるで見ていたかのような的確さに、思わず顔が引き攣る土井。
そんな表情を見るや、大木は極めて愉快そうに快哉を叫んだ。


「お!当たったか!?こりゃあいい!わはははは!」
「なっ、何ですか!」


自分としては、腹を抱えて笑われるような事は喋っていない。
訳が分からないままムカッとして食ってかかる土井の耳が、
辛うじて聞き拾った言葉は


「いつぞやの、ワシや野村雄三と同じとは」


笑い声の隙間に漏れる独り言。
土井はとっさに意味を把握できず、ポカンと口を開けるだけ。


「―…へ?」
「いいや、いいや、何でも。――…そんじゃ、ラッキョの甕
 ここに置いとくんで、おばちゃんに宜しく伝えて下さい。」
「え、ちょっ!」


喋るだけ喋ったら気が済んだのか、満足気に笑って勝手口から姿を消す大木。
土井はまだまだ呆気に取られて、食堂に一人立ち尽くす。
それにしても。


「お、同じって…まさか…」


平然と、とんでもないことを言われたのではないか。
おまけに今、野村先生の名前まで出なかったか。


数多いる恋敵から一歩先んじたと思ったのも春の夜の夢と消えた。
せめて接吻の分だけは、自分に多く勝機があると思いたいけれど。

どうやら、土井の憂いは到底春だけで決着がつきそうにない。
まだ暫くは延長戦。
いや、持久戦と言ったほうが正しいのかもしれない。


「イタタ…新野先生に新しい処方の胃薬もらうか」


そう呟く足は、自然と保健室へと向かうのであった。









【終】
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