うりふたつ10


本来なら、芸人風情がいきなり御曹司と話せる訳がない。

しかし、離れたところで警護している筈の供回りが、
いつまで経っても姿を見せなかった。


「はて、供を二名連れてきていたはずだが?」


御曹司は、眉を顰めて男を流し見る。
猿楽一座と名乗る男は、

「お供の方にまず言上つかまつりましたが、御酒を召されてお眠りで御座いました。
 見事な紅葉ゆえ、眠りを妨げるのも無粋かと思い、
 直接御前にまかり越して御座いまする。」


とにっこり笑ってみせた。


“白々しい嘘を…”


恐らく供回りの者は不意を突かれて、その辺で伸びているのだろうが、
なにはともあれ計画通りに不穏分子がやってきたことに、利吉は喜んだ。

御曹司も同様だったようで、

「ほう、粋な計らいをするものよ。」

と、さも嬉しそうな声を上げる。


「どうする?利女吉。座興に一席、所望するか?」
「ええ、ええ是非とも。」

「これは光栄至極。では早速…おい。」


男が手を打って合図すると、その背後の林から6人ほどの芸人が姿を現す。
御曹司と利女吉、そして頭目と手下の勢が、無言のうちに対峙した。


「…して、能書きは。」

御曹司からの静かな下問に、頭目と思しき男は、スッと鋭い視線を向けた。

「ある所に美しい遊女がおり、大名の御曹司がこれを見初め、大層寵愛しました。」
「…。」
「けれど身分違い故、周囲の激しい反対に遭い、ついに遊女は死んでしまいます。
 遊女の死を知った御曹司もまた、悲しみの余り自害して果てるのでございます。」


御曹司の顔から笑顔が消える。

「…それが我らの末路だと?」
「いかにも。」


男の瞳にあからさまな殺気が浮かび上がった。


「御首、頂戴!」

途端、背後に控えていた芸人の一人が、御曹司めがけて大上段に斬りかかる。
しかし、その刃は御曹司まで届くことはなかった。
刹那の間に、利女吉が懐の短刀で弾き返したのだ。


「…な!?」


刺客ががひるんだ隙に当身を食らわす。
流れるように、そのまま刀を奪い上げ蹴り倒す。

まさに一瞬。

丸腰になって尻餅をつく男の喉笛に、切っ先を突きつけながら。
利女吉は一糸乱れぬ傾城姿のまま、微笑んだ。
その笑顔は、妖艶。

間近で見ていた御曹司さえ、先ほど自分の腕の中で泣いていた青年と
同じ人物とは信じがたいほどに。


「私がお相手しましょう。」


そう言って利女吉は、しばし刀を下げた。
女装では分が悪い。
しかも太刀の切っ先をよける度、なびく髪に視界を取られる。

豪奢な被衣を脱ぎ去って、単衣姿になり。
余った細帯で、そのはしばみ色の色素の薄い髪を結い上げる。
傾城利女吉から忍び、利吉に戻った瞬間だった。


「お前は、あの時の…!」


思わず見蕩れていた敵の一人が、ハッと弾かれたように声を上げた。
どうやら一ヶ月前、峠で御曹司を襲撃した者もいるようだった。

“…繋がった。”

利吉は刀の柄をしっかりと握った。
軽装になって、気力も漲る。
返り討ちの恨みを晴らそうと襲い掛かる刺客に、
齢十八の青年は、物怖じすることなく撃って出た。






「ぎゃあ…っ」
「わぁぁ…っ」
次々と上がる断末魔の叫び。

御曹司の援護ももちろんあるのだが、
人数の差をものともせず、ほぼ一人で眼前の敵を打ち倒していく利吉。

それは、圧倒的な能力の差としか言えなかった。



選良(エリート)と呼ばれるに相応しい、天賦の才能。
若干十八にして父親と並び称されるほどの実力。
仕事中毒と揶揄されるほどの努力。

紅葉舞い散る極彩色の舞台の中で、利吉の存在は一層際立つ。



けれど青年の表情には驕りどころか、悲壮さが色濃く刻まれていた。


「弱過ぎる…!!」


利吉の口から、我知らず愚痴が零れ出て。
悔しさに一筋の涙が頬を伝い落ちる。

想い人のために生きられぬのであらば、せめてその似姿のために戦って死にたいと。
そう思っても、この弱さ。
利吉の誇りが、この程度の敵に命を落とすことを拒んでいた。

御曹司の命を狙ってきたのは、在地勢力の台頭を快く思わない
都に居座る名ばかりの守護大名である。

足利の御代に隆盛を誇った守護大名も、実力でのし上がりつつある戦国大名に押され
今や旧体制の遺物と化しているのが現実である。


“所詮、守護大名の犬か…!!”


斬られているのは敵なのに、一人打ち倒すごとに利吉の表情は
死に場所を求めて凄絶な悲しさを帯びていく。

“こんなんじゃ…!”

その太刀回りは、見ている方が苦しくなるような痛々しさに満ちていた。



「利女吉…、もういい…!あとは私が…。」


御曹司が居た堪れなくなって駆け寄ろうとするが、
利吉の纏う殺気は決して消えない。
そして頭目と思しき男の首を、利吉が感情の暴走するままに薙ぎ払った直後。

残るは覆面の男一人になっていた。





頭目が倒されて逃げ出すかとも思ったが、その覆面の男は迷うことなく
利吉に向かって刀を構える。
利吉も迷うことなく、斬りかかる。

一閃、二閃。

火花が散るかと危ぶむ程に、鍔競る。
刃を交えて、その刹那に利吉は直感した。

“…この男、強い…!”

相手に取って不足無しと、利吉の表情に安堵が浮かび、
やっと襲ってきた緊張に全身があわ立つ。

利吉の意識の中に御曹司はもはやなく、眼前の男、ただその存在だけだった。
全身全霊を込めて、集中しようと思った。

ところが。
数度の撃ち合いの後、利吉は奇妙な違和感に襲われた。
敵味方入り混じっての闘いになっていたため、確かに注意が疎かになっていたが。

最初、刺客は頭目と手勢6人だった。
そしてその者たちは全て倒れ伏している。


“…いつの間に増えた!?”


そしてもう一つ、確かに強い相手だけれど、どこか覚えある太刀筋。
必死に記憶を辿る。

さっきまでの手勢とは全く異なる、意図的な、
まるで兵法の書物をそっくり写したような模範的な殺陣なのだ。

記憶を辿って、辿って、辿り着いたのは…。




「…ま、さか。でも…そんな…」

利吉の瞳孔が見開かれる。


「ど…。」


みるみるうちに纏っていた禍々しいほどの殺気が消えていく。

「土井…先せ…。」

利吉がその一言を言い終わらぬうちに。
覆面の男は、隙だらけの青年の懐中に潜り込み、首筋に手刀を落とす。

「あ…っ」

鈍い音と共に。
気を失った利吉は、糸の切れた人形のように容易く。
覆面の男に抱き止められた。





11へ続く

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