「ドイ?私が誰かに似ているのかな?」
先刻の修羅場ではあれほど鋭い眼差しだったというのに。
私の顔を見た途端、この戸惑いよう。この変わりよう。
腕の中の利吉の反応に、男は首をかしげる。
そして驚いている利吉の顔を興味深そうに観察し始めた。
「…いえ。何でもありません。」
利吉は、騎乗で抱かれている上に顔を寄せられ、気まずさの余り顔を背ける。
“何で…こんな。”
拭い去っていた筈の焦燥感が、再び利吉の胸をチリチリと焼き始めた。
しかし、そんな利吉の感情など露知らず。
「いやぁ、君は強いね。」
にっこりと笑って利吉の瞳を覗き込む男。そしてきっぱりと言い放った。
「おまけに綺麗だ。惚れたよ。」
「……はぁ!?」
しばしの沈黙の後、利吉は発された言葉の意味を認識して素っ頓狂な声を上げた。
何を冗談と一蹴しようとしたが、自分を見つめる男の目が真っ直ぐで言葉に詰まる。
“土井先生に似た顔でそんな、反則じゃないか!”
途端に胸の焦燥感が全身に回って、息苦しささえ感じ始めた。
「……ッ。」
「恋人はいるのかい?」
「い、いませんよっ。第一私は!色恋にうつつを抜かしている暇なんて…!」
常ならば言い寄ってくる者など冷たくあしらうか、力で撥ね退けて終わる筈が。
土井に似ている。
ただそれだけのことで、はっきりと拒絶出来ない自分がいる。
この利吉にしては珍しい優柔不断さが、話をとんでもない方向へ持っていく。
「さっきの棒手裏剣から推測するに、君は忍びのようだけど。」
「!?」
「つまり、心に決めた主君がいるってこと?」
「……。」
沈黙は、青年がまだ特定の主君を持たないことを雄弁に語っていた。
「なら、私が君に仕事を依頼しよう。こう見えて一応大名の嫡男でね、いずれ領国を背負うことになる。」
「え…っ。」
「まずは仕事で。傍にいて気に入って貰えたら、私の領国で共に乱世を生きよう。」
なんと言う口説き文句。利吉は絶句した。
たった一日の間に、どんどん抗えない渦に飲み込まれていくような錯覚。
まるで運命だと言わんばかりに。
戸惑う利吉の感情だけが取り残されている。それが漠然と怖かった。
でもその反面、なるほどと納得する。
堅実な観察力、大胆な行動力、そして不思議な人柄。
戦国の世に民を惹きつける人物とは、案外こういう人物なのかもしれない。
もしここまで土井先生に似ていなかったら、自分はもっと早くに警戒を解いていただろう。
この人物にはそういう魅力があった。
「…私に何をしろと?」
仕事の話題になったことで、利吉も徐々に思考回路が動き出す。
男は嬉しそうに頷いた。
「一ヶ月の間、傾城となり、私と一芝居打つこと。」
傾城とは、君主が夢中になって国を滅ぼすほどの絶世の美女をいう。
早い話が、女装してこの男と恋人同士を演じる訳で。
「傾城!?貴方、まさか色事が目的でそんなことを…。」
利吉の表情にあからさまな不信感が漂うが。
「違う違う!!下心は無い訳じゃないけど…じゃなくて!」
男は慌てて否定する。
「父にではなく、私自身に忠を誓ってくれる家臣がどれだけいるか知りたいんだ。」
「つまり、自分を放蕩息子に見せかけて領内の家臣をふるいにかけるってことですか。」
「ご名答!受けてくれるかい?」
「…。」
依頼主としては申し分ない格式。内容は多少難有りでも、出来ない範囲ではない。
それに何より。
薄々と気づいてきた自分の感情の正体。
“土井先生に迷惑をかけることなどあってはならない。瓜二つのこの人の傍で仕事をすれば、感情を押し殺す耐性がつく筈だ…。“
生真面目さゆえの、僅かな恋心への怯え。
そしてこれは多分、利吉本人も気づいていなかったが。
どうせ叶わないのであれば、ほんの少しだけ。
せめて想い人を思わせる者に、愛されてみたいと。
決心の裏に、未だ成長しきらぬ十八の青年の我侭があった。
しばしの逡巡の後、利吉は言った。
「お請け致しましょう。」
5へ続く