うりふたつ7


そしていよいよ猿芝居の幕が開けた。



御曹司に付き従い、利吉は利女吉として館に足を踏み入れたが。
奇しくも、その日は家臣が揃う評定の日であった。

「利女吉と申します。どうぞ宜しゅう。」
「皆のもの、今日から私の身の回りを世話する利女吉だ。」

厳かな筈の軍議の場に、突然、女しかも遊女の登場。
さらに連れて来たのが嫡男本人とあっては、大名家に衝撃が走らない訳がない。
城主である父親はもとより居並ぶ家臣一同、面白いくらい凍りついていた。

「運命だと思いませぬか。思えば私は今まで真面目一途に生きてきた。これからは利女吉への愛に生きるとしよう。」

御曹司は、うっとりとした表情で、利吉を連れ評定の場を退出する。
第一印象というにはあまりにも強烈な第一幕。


二人がいなくなった後、
御曹司ご乱心…
ぼそっと誰かの呟きが聞こえた。






それからというもの。
御曹司は、ほぼ毎日のように利女吉との物見遊山を所望した。

政治も学問も、武芸の鍛錬ですら全く放棄。

寵愛を受ける利女吉も、それを当然のことのように振る舞い、遊興に耽る主の態度を諌めようとはしない。
二人の密約を知らぬ者たちには、まさに傾城とたぶらかされた御曹司と映り、猿芝居も一通りの成功を見せていた。

そして何といっても、芝居とは思えない熱愛ぶり。
いかにも愛しくてしょうがないといった様子で、利女吉を抱き寄せ、語る御曹司。

「利女吉、あれを見てごらん。この国で一番見事な蓮池だ。」
「まぁ、美しい…。」
「こうしていると浄土で二人、たたずんでいるようだな。」
「まこと…嬉しゅうございます。」

芝居とはいえ、寄せられる好意は紛うことなく本物なのだから。
言葉にはそれ相応の熱が帯びる。

まだ、芝居を始めて間もない頃は、利吉の演技に硬さがあったものだが。


睦言は蜜に似て甘く。
叶わぬ想いと焦燥に疲れていた利吉の心が、本人の与り知らぬ所で少しずつ狂っていく。


御曹司によく似た、遠く叶わぬ想い人を重ねて。
利吉は無意識にその姿を慕っていた。


こうして二人の仲むつまじい光景が、家臣の頭を悩ませ。
家臣の動揺が、下働きの者たちの好奇心に火をつけ。
時勢に敏感な民衆の噂となるまで、さほどの時間は要らなかった。




一方で二人は、冷静に周囲の人間模様を観察することを怠らなかった。
寝所では、昼間の睦言はぴたりと止み、決まって徹底した状況報告がなされていた。


利女吉を「遊女風情」と罵り、陰湿な嫌がらせをする者。
はたまた、利女吉に媚び貢物を贈ることで、御曹司の機嫌をとろうとする者。
民を憂い、実直に真剣に諫言してくる者。
そして、在地勢力の油断を喜び、京にいる守護大名へ密かに使いを送る者。


芝居を始めて二週間ほど経ったある夜、
「だいたい…分かってきたよ。」
御曹司は息を吐きながらそう言った。


一見、安泰であるように見えた大名家だが、どうやら一枚岩であるとは言えない。
今この時の平穏は、国主としての父が、武力と人徳を以って家臣を纏め上げているから存在する。
“ではその父が退き、自分の代になったら…。”

そもそも家臣をふるいにかける事が目的なのだから、もっと成果を喜ぶべきなのかもしれないが。
御曹司の表情は、やはり複雑であった。

御曹司の気持ちが、身分は違えど、利吉にもよく分かった。
忍びの身には、騙し・裏切りなど日常茶飯事に近い。
幾分慣れはしたものの、傷つかぬと言えば嘘になる。
けれど。

「御曹司には、腹心と呼ぶべき方々がたくさんいらっしゃいます。」

と、利吉は微笑んだ。
照れくさそうに頭を掻く御曹司。


「ああ、親父殿や必死で諫言してくれる家臣をはぐらかせるのも…そろそろ限界だ。」
「徐々に諫言を聞き入れ、更正していく素振りを見せて下さい。そうすれば、御曹司に更正されては困る連中も…隙のある今のうちを狙い、焦って動き出すかもしれません。」

その言葉に御曹司は肩をすくめた。

「物騒だな。」
「私が、貴方をお守りします。」
「利女吉…。」


ためらいなく誓う、その瞳の真っ直ぐさ。
覚悟の程が伝わって、御曹司は白檀の香燻る利女吉を抱き寄せた。

「死ぬな。」

切なる願いを込めて放った言葉だったが、利吉には届かなかった。





実際利吉の心のうちには、御曹司に対して、愛情とまでは行かないものの、それに近い感情が芽生えていた。
慣れぬ感情に苦しむ心を癒し、惜しみなく愛情を注いでくれる相手を。
愛しい人に似た姿、声、仕草で抱き寄せてくれる相手を、どうして拒むことが出来よう。


“土井…せんせい…。”


当初、恋心を殺すために仕事を請けた利吉だったが、程なくしてその不可能を知った。
別人と分かっていても、姿を見れば心は時めく。
声を聞けば胸は震え、与えられる温もりにうっかりと涙が溢れそうで。

眼前の男の想いには応えられそうもないが、かといって何食わぬ顔で学園へ顔を出すということは、以前にもまして出来ないだろう。
想い人のために生きられぬのであらば、せめてその似姿のために戦って死にたいと。


約束のひと月を前に、利吉は、不穏分子の反乱をそっと心で待ちわびた。





8へ続く

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