チョコの行方3


霧雨はやむ気配もなく。


濡れた青竹のむせ返るような匂いと
苔に覆われた土のどこか甘いような匂い。

霞がかったその墓地は、まるで一幅の水墨画。

けれど中心には、
文人ではなく、前髪立ちの女装した青年と。
赤い包みにくるまれた南蛮渡来の甘い菓子。


さっきまで濡れ鼠は御免だと思っていたが、
目の前の光景に気が変わった。



そもそも私は、利吉君のことをあまり多く知らない。
君も多くは語らない。

出来のいい息子で
忍玉たちの良き目標で
腕のいい忍び。

結局そんな程度の情報しか、ない。




“でも…今なら。”

もっと違う顔がみれるのかもしれない。

私がこの場にいると知ったら、どう出る?
墓に眠る人との記憶を尋ねたら、何と答える?

君が一生懸命張り巡らせている、一線を越えて
心の内側に踏み込んだら…


“君は私を嫌うだろうか?”


戸惑いも、残る。
今はそっとしておくべきだろうかと。


「では…。」

墓参りを終えた君が、ようやく立ち上がった。
けれどすぐに立ち去るわけでなく。

墓石に刻まれた戒名を一度だけ、愛しげに指でなぞった。

離れがたい想いが、所作になって、
僅かにけれど濃密に描き出され。



「…!!!」


頬を伝う、ひとすじの涙。
初めて見る君の感情の“結晶”が光る。


不謹慎かもしれないが、その瞬間。
私の心は決まったのだった。


チョコレートも
涙も
心も
身体も

利吉君の全部が、欲しいと。


はっきり、自覚した。






そして。
君が来た道を戻ってくる瞬間を狙って、
身を隠していた大きな墓石から、すっと手をのばした。


「!?」


君の瞳孔が開き、こちらへ向き直るのと。
私の手が、涙の伝う頬に触れるのと。

ほぼ同時。



「ど」
「泣いてるんだ?利吉君。」

わざと君の言葉を遮って、優しく問う。


「…っ!!」


涙で充血ぎみの瞳が、一層見開かれて。
背を向けようとするが、間合いは既にこちらのもの。


肩と腰に手を回し動きを封じれば
完全に油断していた君は、
いともあっけなく私の腕に包囲された。


「土井先生!何を…はな、して下さい…っ」


居心地悪そうにもがく利吉君。
けれど、逃がすなんてヘマはしない。
一際強く抱き寄せて、瞳を覗き込み


「チョコ、渡せて良かったね。」

と、囁けば。
ぎゅっと柳眉が顰められた。


あるのは、無遠慮な発言に対する動揺と嫌悪感。


「お相手が死人だなんて、あまり感心しないけど。」
「!…土井先生には、関係な―――」
「あるんだよ。」
「え?」



顔を寄せて、目を見詰めて。


「私は、どうやら君に惚れてしまったみたいでね。
 恋敵が死人だなんて納得いかない。」
「…ぇ……。」


途端、利吉君の瞳が、戸惑いに揺らいだ。
見ているこちらが憐れに思えてくるほど。


「死人に口なし。あのチョコ、私にくれないかな?」
「そ、それは…出来ません!」
「ふぅん。」


この先ずっと。
君が仕えるべき主を持たず、忍びとして一人で生き、
墓前で涙を流す姿を。

見て見ぬふりをするなんて、冗談じゃない。


しっとりと霧雨の湿気を帯びた前髪からも首筋からも、
人を引き寄せて止まない、
成長過程の危うい色香が漂っているのに。


気丈そうな瞳や固く閉ざされた口は
中途半端な依存よりも、いっそ潔癖な孤独を主張していて。

劣情を催させるには十分すぎた。



「そんなに好きだったんだ?その墓に眠る男が。」
「え?」



子供じみた嫉妬心が疼く。


「そっか。じゃあ…代わりに」


細い頤を上向かせ。
ふっくらと形の良い口唇に、自分の口唇を合わせた。


「ん――…っ!?」

顔を背けようとする君の、後頭部をしっかり押さえて。
角度を変え、浅く、深く、自分の想いをこめて。

「ぅ…ふぅ…っ!」


ついばむようなキスを繰り返せば。
抵抗する君の手が私の着物を強く握り締める。



「ゃ…!」

チョコレートよりもほの甘い、
柔らかな感触に夢中になっていたのも束の間。

ぐずるような、か細い拒否の声が漏れ聞こえて、少し顔を離した。


「ちょ…っと!せんせ…っ」
「ん?」
「違い…ます!あのチョコは…そういう意味じゃなくて!!」


口付けで乱された息を整えながら、利吉君は言った。



「私が…忍びになって初めて受けた依頼…だから…。」
「依頼?」

至近距離で気まずいのか、伏目がちに話しながら。

「ええ…娘に扮して、病がちで遊び相手の少ない若君に
 チョコレートを渡す…そんなささやかな内容でしたが。」


記憶をたどる様に、振り返り、墓石のほうを見遣る利吉君。


「駆け出しの私には、初仕事が嬉しくて。ありがとうって。
 また来年も頼む…って、言われた…のに。」



幼い若君の無垢な笑顔も、上様の強く優しい瞳も。
二度と見られない。



「…ただそれだけのことなんですけど。毎年この時期
 思い出して、チョコを買っちゃう…んです。」


言葉は、そこで途切れた。


「そう、だったんだ。」



知己を、一夜にして突然失うことの苦しさは
知らないわけじゃない。
せめて弔うことくらいしか、残された者の心を
癒す術がないことも知っている。

けれど。


長年連れ添った伴侶でも、家族でも、
まして主従でもないのであれば。


18歳の利吉君がこんな寂しい場所で人知れず泣いていることを
ますます見過ごすことなんて…出来そうになくて。




「じゃあ、来年から私も2/14はここに来ようっと。」
「え…えええええええっ?!」


わざと釘をさす。
もうこの場所は、君だけの場所じゃなく。
私もいるんだと。

知っていて欲しい。


「ここに来れば、利吉君のチョコが食べられるわけだし。」
「いやいやいや;お供え物ですから、ダメですよ!」
「じゃ、さっきみたいに代わりにキス貰うからいいや。」
「…へ?!」



みるみるうちに、顔が赤くなってゆく利吉君。


「じょ…冗談…」
「本気だよ。あ、でもそれより来月のホワイトデーか。
 キスのお返ししたいし、予定空けておいてよ。」
「そんな!お返しも何も…先生が勝手に…!」


腕の中で慌てふためく利吉君が、とても愛しい。


「利吉君、好きだよ。」
「…は…っ」


駄目押しの告白に、面白いほどゆでダコになる表情。

「し!失礼しますっ!!」

とうとう羞恥に耐えかねて、顔を真っ赤にしたまま
私を突き放して、利吉君は駆け出した。


その背に向かって声を張り上げる。


「一ヶ月、心の猶予を君にあげる!
 3/14、この告白の返答を…聞かせてくれ!!」



一瞬駆けてゆく足元が動揺に乱れ、けれど
もう振り返ることなく、くぐり戸の向こうに消えた。


こうやって頼めば、生真面目な君は
きっとはぐらかしたり出来ない。




万一、来てくれなくても。

毎年泣き顔のまま去っていたであろうこの墓地を、
利吉君は今年、違う表情で後にしたのだから。


きっと何かが、良い方向に、変わるだろうと。




「さぁて、本降りになる前に帰るか。」

私は少し、肩の力を抜いて笑った。













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