弟子入り拒否


学園に行く度、青年の噂を耳にする。

「突庵望太って学園の実習生が、利吉さんに弟子入りに行ったけど駄目だったんだって。」
「山田先生が『利吉がもう少し出来の悪い息子だったら、
忍術を教える楽しみもあっただろうに』なんて言ってたらしいよ。」

決して悪い評価ではなく、むしろ良すぎるほどである。
情を交わす間柄である利吉の話題であれば、素直に喜んでも良い筈だが。
不自然なまでに良過ぎる噂を聞くたび大木雅之助は胸中が変に軋むのを自覚した。

「まったくアイツは…どこまで優等生になれば気が済むんだか…。」

一人、毒づく。
良過ぎる噂の対価として、青年は自分の命を削るかのように仕事をこなしているのだから。
危うすぎる。
事実、かき抱けばすぐに涙をこぼすほど、脆いくせに。

「利吉め…。」

もうひと月も音沙汰が無い。
柄にもなく恋しさと不安感に駆られてその名を呼んだ時、視界の片隅、土塀の向こうに見慣れた姿が現われた。

「おい、利吉!!」

思わず駆け寄って、その腕を取る。

「お、大木先生…っ!!」

振り向きざま、はしばみ色の髪がなびき、大木の頬を撫でていった。

「よう。」
「お久しぶりです。」

そう言って大木に笑いかけた表情はどこか硬く。

「…ああ。」

大木は利吉に対して違和感を抱いた。
それは、まるでまだ情を交わす前の、生き急ぐ青年の姿に戻ったような感覚だった。




その後、父親への荷物を預けた利吉は、大木と共に学園を出た。

近況報告と世間話、当たり障りない話題をネタにしながら、それすらも生返事の利吉を杭瀬村へと連れてゆく。
偶然とは言え、恋人同士の久しぶりの逢瀬には違いない。
到着した頃には日も暮れかけ、大木は利吉を半ば強制的に家に泊まらせる事にして。
立秋過ぎとは言えまだ暑さの残る夜。
縁側に出て、食事を始める二人であった。

月はことさらに明るく、隣に腰掛ける利吉を仄白く照らす。
いつもならもう少し酒が入り赤み差す頬が、今日はどうしたことか能面のようだった。
猪口で酒を煽りながら、焼いたスルメを噛みながら、様子を伺う大木。


ひと月と少し、逢瀬が途絶えていた間に利吉は何かあったのだろうか?
利吉の仕事中毒は、放って置けば恐ろしく死の匂いの濃く漂うものとなってしまう。
しばらく目を離した隙に以前のような仕事中毒に戻りかけているのだとしたら、
何度でもそれを無理矢理にその足を止めてやろう…と大木は思った。

例え彼が迷惑だと思っても、利吉を失いたくない気持ちの方が強いのだ。

「ええと…突庵…望太、だっけか。」

カマをかけるつもりの質問に、案の定、利吉は反応してこなかった。

「…何のことです?」
「シラを切るなよ。18歳で弟子入り志願者が来るとは…エライ人気だなぁ。」
「地獄耳ですね…。でも過大評価ですよ、第一断りましたし。」

そう答える利吉に謙遜の色はなく、素っ気無い。

「しかしまぁ、あんまり派手に名を売るな。…命縮めるぞ。」

見かねた大木が近寄って、薄い肩を抱こうとすると。
利吉は眉を顰めて、その手を払った。

「…私の勝手です。放っておいて下さい。」
「おい…利吉…。どうした?何かあったのか?」

恋人同士とは思えないつれなさに戸惑いながら、大木は頭を掻く。
猪口を持つ利吉の指先が白く、力を込めているのを知った瞬間。

「良いじゃないですか…私が弟子を取ろうが、名を売ろうが。」

利吉はうつむき、伏し目で投げやりに呟いた。

「貴方の迷惑にはならないでしょう!?」
「おい、利吉?お前…。」

抱き寄せようと伸ばした腕を、利吉はするりとかわして。
やや恨めしそうに、大木のほうを流し見た。

「私が、仕事を多く取る理由も考えないで…。」

うっすら目尻に赤みが差している。
居た堪れなくなって、大木は利吉の方へ歩み寄った。

「そんな説教なんか…しないで…。」

今度は大人しく、大木の腕に抱かれる利吉。
幾分安心したのか、言葉に少し、力が戻ったように感じた。

「私だって…私だって…その辺の野菜と同じなんですよ!?」
「あぁ?野菜??」
「放っておかれたら…駄目になるっ…!!!」

利吉は、大木の袖をぎゅうと握り、その胸に顔を埋める。

「…!利吉…。」
「いつもいつも、会いに来る日取りは私まかせで…。」

そんな事で…と大木は思った。だが自分の手落ちだとも思った。
言葉が足りなかったのだろうから。
ふう、と長めの息を吐いて、大木は脱力した。

「参ったな…、ワシはそんなに余裕があるように見えたのか?」

こくり、と利吉は頷いた。

「余裕なんて無えよ。言ってもキリがないから…言わなかっただけだ。」

力を込めすぎるくらい込めて、利吉を抱き締めた。

「もし、ワシの率直な希望を言うなら…な。」

かりんかりんと季節外れの風鈴が鳴り、静寂が訪れる。

「一生杭瀬村に居て欲しい。」
「いっしょう…?」

途端に、利吉の瞳が丸くなる。

「ワシの希望を聞く気があるなら、今夜から一生ここで暮らしてくれよ。」
「え…。」
「出来るのか?」
「そ、れは…。」

逡巡する利吉。
大木とて、今何よりも自立を焦る利吉に、それが出来るはずも無いことは知っている。
言葉にしてから少し意地悪が過ぎたか…と思った。
だがワシに余裕などない事を分からせる為にはこれくらいの事は言わんと。

「……そういう、ことさ。」

出来ることなら、叶うことなら。
この村で穏やかに暮らし、いつも視界に置いておきたい。
しかし、それは眼前の青年の可能性を摘み取ることにもなり兼ねない。
利吉が自分の歩調で進み、やがてここに生きる事を選んでくれるまで。
大木はゆっくり待とうと、そう決めているのだ。
いつ利吉が危ない目に合うか、その焦燥と毎日戦いながら。

「待つのだってつらいんだぞーう。」

苦笑いしながら、利吉の頭に手を置く大木。
利吉も、同じように笑顔を取り戻していた。
いささか焼きすぎたスルメを、網から下ろして食事を再開すると。

「大木先生…私ね。」
「ん?」
「ただ早く大人になって…貴方といて恥ずかしくない人間になりたいんです。」

ここに…落ち着いて暮らせるように。貴方のそばにいたいから。

「だから焦って、でも貴方は何も言ってくれなくて…一人だけ空回りしてるみたいで。」
「それを忘れるために仕事で無茶をしたな…?」
「はい。」

顔をしかめながら、大木はスルメに噛り付く。

「重ねがさね参ったよ、お前は当たる相手を間違えてる。」
「仕事にじゃなくて、今度からはワシにぶつかって来いよ。」
「……善処、します。」
「ちっ、素直じゃねぇなぁ。」

大木は、それでも嬉しそうに利吉の肩を引き寄せて、口付ける。
スルメの匂いが香って、利吉は何だかとても温かい気持ちになった。







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