君にラッキョの花束を 16


思えば、この時が
他人の前で泣いた“初めて”だった。


幼い時分でも両親の前でさえ、あまり泣かなかった自負がある。
涙を流したこと自体数年ぶりなのでは…と思う。


大木先生の私を見る瞳が、髪を撫でる手が、
ついばむように繰り返される口付けが、あまりにも優しくて
随分わぁわぁと泣いてしまったような気がするけれど。

後日「この期に及んでもあんまり泣かん奴だな、と思ったぞ。」
と言われたことを考えると、
実は声を上げて泣き喚く体力は、思ったより残っていなかったのだろう。



やがて、なけなしの残存体力で泣き疲れた私が落ち着くと

「利吉?」
「…は、ぃ…。」

大木先生は私の頬を軽くつまんで、顔を覗き込んでくる。

「ワシとしては、結構分かりやすく口説いてたと思うんだが。」

お前、気付かんかったのか?とまたいつものように
からかう口調で問われた。
 
「…生徒…扱い、されてるんだと…」
「何でそうなるかなー。」
「…、…だって…っ」


勢い込んで説明しようとしたが、身体がついていかず
ゲホゲホと盛大に咳き込んだだけだった。


「!…あぁ悪い、無理に喋らせるつもりはなかったんだが。」
「……〜っ」
「続きはまた風邪が治ったら、だな。」


咳にあわせて痛む頭の中で、風邪が治ったら思う存分言い訳するんだと
そんな誓いを立てること暫し。

黙ったまま、頬へ額へ口唇へ優しいキスを受けていると、

「利吉…?眠いのか…?」
「……ぅ……」

じわじわ眠気が広がってきた。


“……夢見心地…って、こういう状態のことなのかな…”

なんてどこか他人事のように思う一方で。
不思議にも先生の小袖を握り締める手からは、力が抜けることもなく。

これじゃまるで愚図る子供だと分かっていても
一度警戒を解いた身体は、与えられる温もりを離したくないのか
ぴくりとも言うことを聞かなかった。


「ほら……もう休め。大丈夫だ、ワシも一緒に寝るから。」

あやすように撫でられた髪の感触に、駄目押しの睡魔が襲う。

ごそごそと布団に潜り込んで来る大木先生の体温は
私のものより少し高くて心地いい。


「おやすみ。」

その言葉に引き込まれるように、私はゆっくりとまぶたを閉じた。










翌日。
こんなグッスリ眠ったのはいつぶりだろうと思うほど、
ぱちりと目が覚めた。

重力をあんなに重く感じていた昨日までと打って変わって
身体も軽く、すんなり上体を起こすことが出来る。


が。


“……あれ?”


ふと視線をずらすと、隣に寝ている筈の大木先生の姿が無い。
それもその筈。
格子戸から差し込む太陽は、朝日と呼ぶには高く上りすぎていた。

“もう学園へ出立したのかな…”


散々世話になっておいて申し訳ないとは思うけれど
ホッと安心した…のが正直なところ。
今隣にいられでもしたら、どんな表情をしたらいいか分からない。


散々醜態を晒し、告白されて、しかもそれを受け入れた…なんて。
後悔はしていなくとも、昨晩のことを思い出そうとするだけで卒倒しそうなのだ。

改めて、起こさずに出立してくれた大木先生の配慮が嬉しかった。


ただ、そのまま井戸に向かおうと立ち上がれば、流石に軽い眩暈が起こる。
熱は下がっていたようだが、やはり病み上がり。

一昨日までの自分なら、身体が動かせる以上休むなんて怠慢は
許せなかっただろうけれど。


“大丈夫だ。利吉。”

優しく笑う大木先生が、白昼夢のように離れなくて。
脳裏の大木先生に甘やかされるまま


“……今日だけは、大人しく、休むとします。”

少しの間逡巡して結論を出した。
そしてもう一度夜具に体を沈めようとした時、
ギクリと全身を緊張感が走る。


忍びの性で咄嗟に玄関に向き直って身構える。
すると引き戸が開いて、顔を出したのは―――…



「利吉、いるのか?邪魔するぞ。」
「! ちち、うえ…」



ああ、こんな光景、前にもあったよな…と既視感が襲う。
あの時は半裸だった。今度は寝巻き姿である。
どっちも最悪だと思いつつ、ひきつった愛想笑いを浮かべた。


「む、何じゃお前!風邪でも引いたか、その体たらく。」
「…え、ええ、まぁ。」


案の定、開口一番ずばり指摘されて、私は父上からのお説教を覚悟する。

と同時に、見られたのが風邪で寝込んでいる姿で、
大木先生と二人で寝ているところでなくて良かったと不幸中の幸いを喜んだ。









17へ続く

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