君にラッキョの花束を 17


「父上……」
「寝ていたならそのままでいい。勝手に上がるから大人しくしておれ。」


父上は手をひらひらさせながら、草鞋を脱ぐ。

言われた手前、私は布団に戻ったが横になる気にもなれず、
観念して上体を起こしたままお説教を待った。


「先に店に行ったが開いてなくてな、どうしたのかと思ったわい。」
「…申し訳ありません。」

ぐいと水がめの水を飲んだ後、布団のすぐ隣に座る父上。


「で、いつからだ?」
「…昨夜です。一晩寝て熱は下がったようですが、念のため
 今日一日、店を休んで回復に努めようかと……。」
「そうか。………ふむ。」

かすれた声の言い訳を聞いて、父上はおもむろに腕を組む。
改まった話をする際に父上がするお決まりの仕草だ。

だから絶対に、体調管理が出来ていないとか、独り立ちには程遠いとか
そういう説教が始まるはずだ!と肩をすくめた。



ところが。

「賢明な判断が出来るようになったな。」
「……………………は?」

発された言葉は予想とは正反対のもので、
思わず目を丸くして父上の顔を凝視してしまう。

「なんじゃい。」
「……てっきり、怒られる、かと。」

おずおずと本音を言えば、盛大なため息と共に、

「阿呆。どれだけ体調管理しておっても、風邪を引く時は引くものだ。
 風邪を引くななんて無茶は言わん。
 引いた後、きちんと休みを取って最短で治すこともまた、体調管理なのだぞ。」

と諭される。ただ、

「ま!以前のお前なら、無理して仕事に出て行きかねなかったからな!
 その点ちょっとは成長しているようだし、どれ、ワシが粥でも作ってやろうか。」

なんて、土間に下りていく父上の声色は上機嫌だった。

“…とりあえずは、怒られずに済んだみたいだな…。”

ほっと安堵のため息をついたのも束の間。




「ん?おい、利吉、もう粥が出来とるじゃないか。」

鍋を手に取った父上が振り返り、指差しているではないか。

「え?!」

首を伸ばすと、鍋には確かに作り置かれているお粥が見える。

「これはどうした?」
「えぇっ……??……ぇ、と…」

無論私が作ったわけではない…となると心当たりは、まさか。

「………大木、せん……」

うっかりと独り言が声に出てしまい、すぐにハッと口を噤む。
けれど時既に遅し。
父上の目が細められ、眉間にシワが寄った。


「なに?大木先生…?」
「いやっ、あ!!そういえば…偶然!偶然昨日大木先生がお立ち寄り下さったんでした!」


嗄れているはずの声もどこへやら。ぽんと手を打って、

「すぐに帰られたとはいえ、せっかく作って頂いたこと忘れてるなんて、
 やだな、私まだ風邪でボケちゃってるのかなー!」

精一杯の明るい声で、誤魔化した。
さすがに告白されたことや、一晩一緒に寝てもらったことまで知られたら
今度は父上が倒れること間違いなしだ。


すると父上は

「……ほう、大木先生が来たのか。」


一寸驚く表情を見せ、そしてサラリと言った。



「この間といい…ずいぶん意外な組み合わせだな。大木先生とお前は
 全然気性も違うし、どちらかと言うと反りが合わんかと思っとったんだが。」

と。




思いもよらず、グサリ、胸にその言葉が深く刺さるのが分かった。

「……ぇ…」


たぶん他意はなくて、ただ父上は本当に意外だっただけなんだと思うのだが。
それでも心臓がドクドクと音を立て、さっき浮かべた誤魔化し笑いが物の見事に凍りつく。


「そう、ですか。」


確かに、大木先生と私は、全然違う型の人間で。
性格だって多分水と油くらい正反対で相容れないだろう。

だから苦手で、そんなことくらい最初から分かっている。筈なのに。




改めて父上から言われると
お前たちは一緒にいても上手くいかないんだと宣言されている様で
何故だかとても悲しくなった。


“……私だって、そう思います……けど……、でも…”


言葉に詰まった喉からは、無理をして喋ったツケとして咳だけが出て、
会話はそこでお開きにさせられる。


「まぁ良い。粥が温まるまでまだ時間もかかろう。それまでちゃんと横になっておれ。」
「ぁ、はい…。」



結局言われるままに、布団へ身体を横たえた。





途端。ふわり、と

「!」

身体を包み込む先生の残り香。
それは刹那の間に昨夜の記憶を呼び覚まし、


“大丈夫だ。利吉。”


父上の言葉に揺らぐこんな時でさえ囁く声が聞こえるようだった。
だから同時に。




“………ああ!……そうか!”




眩暈のような直観が舞い降りた。


どんなに苦手でも、例え父上にどう思われても、もう。

あの太陽みたいに眩しい人の想いをきちんと受け止めてみたい。


応えてみたい、と。







たったそれだけ。
けれど自覚したその瞬間こそが、全ての始まりとなった。






大木先生に出会って、16歳の誕生日を迎えようという頃のことである。









そして。
それからたくさんの出来事があって。
大木先生の側で喜んで、怒って、哀しんで、笑って。
三年の月日が流れ。




「どちらかというと合わない。」という父上の言葉で揺れていた
15歳の私の不安は、





「大木先生の性格がうつったかな?」




きり丸のこの一言であっさりと杞憂になった。




言われた瞬間、咄嗟にとぼけたふりをしたけれど。


嬉しいような、
困るような気持ちになったのを今も忘れない。









【完】




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