君にラッキョの花束を 3


その夜。




住み込み長屋の一室で、布団を敷きながら
私はため息をついた。



「今日は、変な一日だったな…。」


6畳程度の小さな部屋に、独り言が響いて闇に溶ける。






昨日までの平穏な日々が嘘のよう。


初対面の男にいきなり口付けられるわ、
その男が父親の同僚と知ってなお
怒りに目が眩んで、湯を浴びせかけるわ…。
散々な一日だった。








茶屋では、よりたくさんの情報を得るために
「順忍」のように当たり障りない対人関係を続けている。

だから、素の感情なんて押し殺したり、隠したりするのが
当たり前になっていたんだけれど。







今日はそうじゃなかった。






“こんなに喜怒哀楽を表に出したの…どれくらいぶり、なんだろ…。”

どんな理由があったにせよ、自分が意図せず
「山田利吉」として大木先生と話していた事実。
それはすなわち「順忍」としての敗北を意味する。



奥歯を噛み締め。


自らの未熟さを恥じながら、布団にもぐりこめば、
昼間の…あの明るい大木先生の笑顔が目に浮かんできた。



「大木…先生…か。」


口付けに抗議をしたら、「たかが口付け」と逆ギレされるし。
湯をかけたことに対して詫びれば、物分りが良すぎると苦笑されるし。


とにかく大木先生と話している間中、
常識的なやり取りが出来ず、焦ってばかり。


おまけに、頭をぽんぽん撫でて、さっさと去ってしまうなんて。
何て破天荒なヒトなんだろう…!




無論、父上が手紙を託すほど、信頼を置いている人物なのだ。
これから忍びの業につく身としては、学ぶべき点も多いだろう。
それは分かっている。





でも。




「苦手だ…、ああいう人…。」





強引で奔放で明るくて、人の心にズカズカと入ってくる。
常識なんて無視してる癖に…確かな実力を持っている。
強さに裏打ちされた自信。
何より、人の心を見透かすような…あの優しい目。






今はまだ、近づくべきじゃないと本能が警告している。





弱い自分を見られるのは、厭だから。
脆い自分を知られるのは、厭だから。






もっと強くなりさえすれば。

こんな不安な気持ちになることもないし、
大木先生との会話だって、きっとうまくあしらえる。






“早く、強くならなきゃ…。”





少しだけ眉を寄せて、枕に顔をうずめると。
疲れもあって、じわじわと睡魔が襲ってくる。






“まぁ…大木先生とは滅多に会うこともないだろうし。”





忘れよう、と心の中でうなづいて、私は眠りに落ちていた。








4へ続く

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