君にラッキョの花束を 4


長屋の障子から差し込む光が眩しくて、目を醒ます。


「ふぁ〜…」

あくびを一つ。


私は眠い目をこすりながら、起き上がって。
身だしなみを整えた後、茶屋へ向かった。


雀のさえずり、夜露残る生垣。

いつも通りの朝。
いつも通りの日常。


慣れた手つきで湯を沸かし、茶葉を長持から運び出し、
開店の準備を進めれば。
呆れるほど世界は平穏そのものだったから。


“一人で慌てて、悩んで…バカみたいだ。”


静かな店内で、昨日の失態を思い返して苦笑する。


“…悪い夢をみたとでも思って、
 今日は心静かにお茶を点てるとしよう。”


手揉みの良質な茶葉を掬い、仄甘い香りを胸に吸い込む。

ふたたび心の中で、臨兵闘者皆陣列前…と九字の印を切り。
暖簾を持って、朝日の降り注ぐ軒先へ出た。


そして、見上げた太陽の下。
眼前に立っていたのは。




赤い鉢巻。
底抜けの笑顔。



「よう!利吉!」
「!!」



紛うことなき、大木雅之助先生。


「…っ、ぇぇええっ!?」


ガシャーン!!!と盛大に、私は暖簾を取り落とす。
九字の印効果が、ものの数秒で吹っ飛んだのは言うまでも無い。


「なななな、なんで…っ」


呆然と立ち尽くす私をよそに、大木先生はケロリと

「手ぬぐい、返しに来たんじゃ」

と笑いながら歩み寄ってきた。




「て…手ぬぐい?」

…そう…言われてみれば。
そんなこともあったような…。
思い当たる記憶に、私は顔をしかめた。


“もう関わりたくなかった…。”


拒否反応で、身体が自然と後ずさりしてしまう。

それにしても。
うっかり取った自分の行動を
これほど恨めしく思ったことがあるだろうか。

時間を巻き戻せるなら、あの瞬間の手ぬぐいを、
横からかっぱらってやりたいと心底後悔した。

反面、
そんなの適当に父上に預けとけば済む話じゃないか…!
わざわざ来る意味が分からない!!!
と逆恨む。



昨日に続いて今日までも。
忍びの修行を積んでなお、
全く思い通りに動かせない「大木先生」という存在に
だんだんとまた腹が立ってきて。


「授業のある中、わざわざご足労恐縮です。お急ぎでしょうし
 竹筒に白湯を入れますので、お帰りの道中飲んで下さい。」


遠まわしに“早く帰れ”の社交辞令を投げかけてみる。

大木先生とて忍び、ここまであからさまなら
こちらの言わんとすることを察するだろうと踏んだけれど、


「なぁに、授業はまる一日自習にしてきた。」
「え゛」


1秒後、その読みが甘すぎるものだと思い知る。

「折角だから、ここでゆっくりして行こうと思ってな。」
「そんな不真面目な・・・。」


ついつい零れ落ちる本音、それすら大木先生は愉快そうで。


「ははは!山田先生にバレたら大目玉間違いなしだが、
 二人だけの秘密にしておけば大丈夫だろ!!」


返って来た答えは、どこまでも勝手気まま。
二の句なんか継げやしない。

「よっ、と」

落ちた暖簾を、大木先生が拾う。
パタパタと土埃を払って、自ら軒に掛けてくれた。


「…あ、ありがとうございます。」


振り返り肩越しに、視線がぶつかる。
脳裏に焼きつくのは、いたずらっぽい笑みを含んだ無邪気な目。

「なんの、美味い茶を淹れてくれ。」

私の頭をくしゃくしゃと撫で、
鼻歌交じりに店の中へ入ってゆく大木先生。

父上にすら久しくされていない、子ども扱いに
カッと頬が熱くなるのを自覚する。


“〜〜〜やっぱりこの人…苦手だ…!!”

と、つくづく痛感。








でも今思えば、それこそが始まり。
出逢ってたった二日、時間にしたら一刻にも満たぬ間に。
大木先生は、ある意味私の「特別」になった。




“変な人と知り合っちゃったな…。”



これからどうなるんだろう。

気づかれないようため息をついて、
私は大木先生のあとを追うように、茶屋へ入った。









5へ続く

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