家族のかたち 4



ぁぁぁ…


ほぎゃぁあぁ…




“…泣いてる。”



泣き声が聞こえる。
だんだんと戻ってくる意識。


“ああ、そろそろ…ご飯の……時間だ…”



と思った途端、激しい焦燥が襲って
利吉はパッと目を覚ました。

「若君…っ!!!」

すぐさま体を起こし、隣にいる筈の赤ん坊を確かめる。

その目に映ったものは。
空腹に愚図る赤子と、それを覗き込む大木の姿だった。


どこか、あの穏やかな奥殿を思い出させる光景で
胸がきゅうと痛んだ。


「おお、今ちょうど起こそうと思っとった。
 食事が出来たし…ほれ、ヤギの乳で離乳食も作ってみたんじゃ。」


言いながら、大木は傍らに置いた膳を指差す。


「え、あ、有り難う…ございます。」


大木の配慮に、いささか不意を突かれつつも。
小さな木勺で離乳食をすくい、ふうふうと冷ましてから
抱き起こした赤子の口元へ運ぶ利吉。


「ふぅん…手馴れたもんじゃの。」
「…乳母の方に鍛えられましたから。」


思い出せば自然、口元もそして涙腺も綻ぶ。
喉元のひりひりする痛みをかみ殺し、食事を与え続ければ
ほどなく満腹になったのか、赤子は、ほやぁとあどけない欠伸を見せた。


“…かわいい…”

純粋にそう感じた刹那。


それを待っていたかのように突然。
利吉の双眸から熱い液体が溢れた。


「……っ?!」


言うまでもなく、それは涙。
安堵と、追悼と、この先の不安がない交ぜになった涙。

ここにきて、張り詰めていた緊張の糸が、切れてしまったらしい。

「………!」


大木もしばし言葉を失うが、やがて赤子ごと利吉を抱き締めて。




「…お帰り、利吉。」

と、ゆっくり囁いた。



―…お前の帰る場所はここだぞ。
―…よくここへ帰ってきてくれた。
―…もうどこにも行かなくていい。


そんな気持ちが確かに聞こえてくるような「お帰り」だった。



だから、心の中の箍は呆気なく外れて、
利吉は赤子を抱いたまま、大木の胸に身を寄せた。


最期の依頼は、出来るなら叶えたい。
託された新しい命も、このまま守り続けたい。
けれど、どこにも属さぬ流浪の忍びの身で、
一人、赤子を育てることなど到底出来ない。

独り立ちして5年。
強くなったと自惚れて、大抵のことは独りでこなせると思っていたのに。
こればかりは、どうして良いか分からなくて。
大木の肩口に顔を埋め、泣いた。


着物越しに利吉の涙が浸透して、大木の肩が温かく濡れる。
その温もりを大木は心から愛しく思い、言い放った。



「一緒に育てるか。ここで。」
「え。」


零れる涙を拭う間もなく、利吉が弾かれたように顔を上げた。
咄嗟に大木から体を離し、信じられない…と言った顔つきである。


「5年待ったからな。ワシはそろそろ利吉と暮らしたいぞ。」


もし利吉が望むなら、この家で利吉と共に
この赤子を育てていこう。

子を望むべくもない自分達に託された命ならば、
そんな家族の形があっても良いのではないかと。
大木は思った。



「え、…っと…」


利吉は、ただただ驚くばかりで、それ以上の言葉が出てこない。

けれど、さっきのさっきまで、赤子など育てられはしないと
鉛のような不安があった筈が。
大木のたった一言で、それは確かに跡形もなく消えていた。


「先生と…?」


杭瀬村で遺児を育ててゆくのだ。
大木からの提案は、即ち、利吉に忍びの生業を辞めて
この村に定住してくれという意味を持っているというのに。


「ああ、ワシとお前…二人で、だ。」


切なさにも似た言い知れない期待感がこみ上げる。
瞬きを忘れた双眸から、再び涙がはらはらと零れ落ちた。


以前の自分なら、こんな風に人前で涙を流すなど
心の弱い証と軽蔑し、断じて許せなかったに違いない。

「決して泣かない強さ」を、利吉は求めていた。
そのために、文字通り心の上に刃を立てる忍びの道こそ
最短の手段だと信じ、仕事中毒と揶揄されようが
一心不乱に打ち込んだ。

けれど。

学園教師という立場を捨て、杭瀬村で五年の歳月をかけて。
「泣いてもまた笑える強さ」があることを、大木が教えてくれた。


どちらがより強いのか、それはあまりにも明白で。


大人になれば、何でも一人で出来るようになるのだと。
それが強くなるということなんだと思っていた。
でも実際は真逆で、大人になればなるほど、
一人では解決できないことが増えてゆくのだ。

だから人は人を求め、共に支えあえる家庭を作るのだろう。


この村で三人で共に過ごす生活は、
すんなりと利吉の脳裏に思い浮かび、そして馴染んだ。


「悪くないだろ?」


大木は笑う。悪戯っ子のように。
一緒に暮らそうぜ、と両手を広げて見せた。







5へ続く

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