理由


今より少し前の話である。








よく晴れた昼下がり、利吉が杭瀬村の大木宅を訪ねた。
それは二人にとって、久方ぶりの逢瀬になった。

この頃すでに自他共に認める仕事中毒の利吉は、
「ご無沙汰しております」と言った直後に
「明日の夜にはまた発たねばなりません」と
言わねばならぬ身ではあったけれど。

大木は利吉の来訪を喜び、また恋人の無事な様子に心底安堵した。
そして当然のように「お帰り」と言い、自分はここで利吉を待っていたのだと
主張するように一度だけ強く抱きしめた。

「さて、どうする?疲れているようなら仮眠でも…」
「いえ、大丈夫です!」

すぐさまピン!と背筋を伸ばして答える利吉。おまけに
睡眠はきちんと取っています、なんて殊勝そうな表情をするものだから、
大木は可愛いと思う気持ちを堪えかね、くつくつと笑った。

「なら少し歩こうか。桜は散ったが、今の季節
 新緑や躑躅が綺麗でな。土手を歩くだけでもいいもんだ。」

闇を渡り歩くことが多い利吉を、陽の下へ連れ出したい。
肩の荷を下ろして、自分の隣で、綺麗なものでも眺めながら笑ってほしい。

そんな想いを込めた大木からの提案を、

「いいですね、ぜひ。」

利吉は、遅咲きの桜がほころぶような微笑みで頷き返した。



ありふれた日常のひとときを大事にしたいんだという気持ちが
互いの内に在るからこそ。
なるべく、ゆっくり時間が流れるように。

手こそ繋がず、けれど肩が触れ合う距離を保って
あぜ道や川辺を並んで歩いたり、
他愛ない世間話を楽しんだり、穏やかに過ごす大木と利吉。

たくさん話して、何度も笑って帰路に着く。
竃の前で一緒に夕餉の支度をする頃には、すっかり心が満たされていた。



筈だった。


が、しかし。


日が暮れて、食事を片付ける指先が触れた途端。
分かりやすくお互いの物言いたげな視線が絡んだ。

みるみる距離が縮まって吸い寄せられるように、
ぴたりと身体を寄せ合えば“ゆっくり”なんて
体裁を繕いきれなくなった欲情が湧き上がってきて。

次の瞬間には噛み付くような口付けを交わしていた。

あとはもう、時間がさっきまでの穏やかさなど
嘘のように激しく流れてゆく。

「ぅあ…っ」

残り火僅かな囲炉裏端に、唾液を絡める水音と乱れる呼吸音が響き
二人は褥を整える寸暇すら惜しみ、辛うじて引っ張り出した夜具に雪崩れ込んだ。

お互いがお互いを求めることで精一杯。

愛しているなんて分かりきった事を嘯くよりも深く舌を絡めていたくて、
完全にすっ飛ばした睦言。

繋がるまでの段階などあえて意識することもなくなって
したかどうか定かではない前戯。

脳髄を痺れさせるような熱い体温と、体中の血を騒がせる愛しい匂いに
呆気なく外れた理性の箍。

ただ、これらは全て無理からぬことでもあった。

夜が明けたら、また離れ離れ。
年長者の大木ですら、恋人をたった一人、
生死すら分からぬ世界へ送り出さねばならない立場であるから、
今この瞬間腕の中に息づく存在がどれほどに愛しく、稀有なものか計り知れない。
口付けの、その先を急く気持ちは慮るに容易いだろう。

結果的に貪りあう口唇がどちらともなく離れ、
酸素不足で朦朧としていた意識がわずかに明瞭になったのは、
既に利吉の脚が大木の肩に担がれた瞬間で。

大木が利吉の内に身体を沈めた途端、また二人の意識は拡散する。
昇りゆく月に急かされるように繰り返し快楽を追っていった。






翌朝。

杭瀬村の大木宅には、

「!」

布団に小さく滲んだ血跡を見つけ、
同時に赤面した起き抜けの二人の顔があった。


それもその筈。

大木と利吉が睦み合うのは何も昨晩が初めてではない。
これまでに幾度となく身体を重ねている間柄なのだ。

事前にある程度慣らせば、傷つかず繋がれることも当然知っている。

だというのに今更、わずかなりとも出血しているということは
互いにどれだけ余裕がなかったかを、まざまざと証明するようなものだった。

「…あ〜その、大丈夫か…?」
「え、ええ…まぁ…ちょっと痛みますけど…大丈夫です…。」

利吉の内側で疼く鈍い痛み。

恋しいという感情ばかりが先んじて、受け容れるため身体を拓く時間すら
惜しんでしまうのはどうなのだろうか。

「…すまん。ホント、何か…。」
「いえ……。私こそ…。」

大木は年甲斐もなく事を急いた己を自省しているようだったが、
利吉も利吉で、途中確か「もう…」だとか「早く…」だとか
思い出すだに恥ずかしい言葉で強請ったような気もするから
返す言葉がなかった。


そして火照る頬を自分の手でひらひら仰ぎながら、
ボンヤリ考える。

“もう少しだけ、こまめに会える時間を作ったほうが
 …身体のためかもしれない…な。”


仕事に支障を来たすほどの痛みではないが、
会える時間が短すぎるとこういう事態になるんだと。





逢瀬の朝に、利吉は身を以って学んだのだった。




それ以来、利吉が以前より予定の管理をするようになって、
周囲にもこんなこと言うようになったとか。




「仕事の予約はお早めにね。」















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