不惑の翌年に。3



灯りが消えた部屋で、厚着は目を閉じた。
ところが、しばらくしても寝付けない。


珍しいことだ、小規模だが久方ぶりの作戦行動に
知らず気が高ぶっているのか…?

首を捻りながら寝返りを打つ。


ふと、隣の利吉の気配にも同様の違和感を嗅ぎとって。
襖の向こう、忍たまたちを起こさない程度の小声で呼びかけてみる。



「……寝付けないのかい?」
「!あ、すみません、かまわずお休み下さい。」



問いかけには、同じく小声だが存外ハッキリした受け答えが返ってきた。
利吉もまだ寝入りがけですらなかったらしい。


「なぁに、私は何だか目が冴えているから良いんだ。
しかし…具合でも悪いのか?」



心配する厚着が軽く起き上がって、手をのばすと。
少し慌てて利吉も布団から上体だけ起こし、
厚着の方へ向き直った。


「いえ、寝付くのに時間がかかっていただけなんです。
…いつもはこうじゃないんですが、その…久々に人と…
こんな近くで寝ます……から…」


聞けば、ここ数ヶ月仕事柄単独で行動することばかりだったと言う。

こうして休む時、至近距離に「他人」のしかも複数の気配と寝息がある戸惑い。
それが寝付けない理由のようだった。


未熟だと思われたくないのだろう、
途中から言葉尻がしどろもどろになる利吉の様子が妙に可愛く映る。


どこにも属さない若者らしく潔癖な、けれど少しサビシイ不眠の理由に。
厚着は思わずささやかに笑った。



「ははは、体調が悪くないならいいんだが…
なんだ。共寝してくれるような相手はおらんのか」


つい軽口を叩くと、利吉はブスッとした表情を浮かべる。


「残念ながら、いませんね。」


初めて見る類のふてくされた表情に、興を覚える厚着。
普段見ることができないそんな顔をもっと長く見ていたくて、
さらに言葉を重ねていく。



「なぜ?引く手数多だろうに。
 …近頃の噂では町の娘だけじゃない、浪人や忍び、
 城持ち大名まで君を欲しがっていると聞くぞ?
 遊び相手は選り取り見取りじゃないか。」

「…やめて下さい。買いかぶりですよ。」



厚着は、若者の色恋事情をからかって楽しむなんて
すっかり中年だなぁと自虐的なことも思いながら。
彼が遊び馴れていないことを、どこか好ましく感じていた。


くつろいだ体勢はそのままに、改めて目の前の青年をしげしげと観察する。
髪を下ろした寝巻き姿の、前髪立ちの18歳。


その整った顔立ちから近寄りがたいかと思いきや、
話しかけると思いのほか気さくで。
時折見せる笑顔は少し幼い。
それでいて、返ってくる意見は才気煥発。

忍びとしての利用価値を差し置いてなお、
契りを結びたがる男が絶えないのも頷けるだろう。


数多言い寄る輩が尽きない中で、涼しい顔をして
他人の気配があると寝付きにくいと嘯く利吉。



「ふむ、さては理想が高いな?」
「……理想、ですか?改めて考えたこともないですが」



さて彼がその身を許すのはどんな人物か…と興味が湧き、
そんな質問で彼の心の底を叩いてみる。

厚着が自分から、こんなくだけた話をすることなど滅多にない。
学園の塀の中だとか、教師と生徒の間柄であれば、あり得ない話だった。

しばし考えこんだ利吉の口から返ってきたのは、一つの問いかけ。



「そんな風に仰る厚着先生こそ、さぞご経験も豊富なんでしょうね。」
「うん?私なんぞこの年で、しかも独り身だ。
 今じゃ色恋とは無縁の身だぞ。
 そりゃ若い頃は多少の場数も踏んだがな。」


昔を思い出しながら厚着は肩を竦めて小さく笑う。
今を時めく君がこんなオジサンの昔話を聞いても何も面白くない、
そんな意味をこめて言ったつもりだったが、そこへ思わぬ切り返しが待っていた。



「場数、ですか。では厚着先生、
 私がそちらの実技指導を願い出たら、引き受けて下さいますか?」
「は………?!」



まったく予想外の発言に、絶句する厚着。
目を丸くする厚着をよそに、利吉は
小声でしかし確固たる意思宿る瞳を向け、言葉を続けた。



「よくよく考えてみれば私の理想は、厚着先生のようなお方です。
 強く厳しく実直で冷静。
 忍びとして、人として尊敬してやみません。」
「!」



寝巻き姿で、僅かに身を寄せるそぶりを見せる利吉。


「もちろん贅沢は望みません。
 ただこうして二人、枕を並べたのも何かの縁と思って…
 せめて一度、閨の教えを乞うてはいけませんか…?」


小首をかしげ、白いうなじを惜しげもなく晒す。
襟元から覗く鎖骨が艶っぽさを放ち、
甘い香りが漂うかのようだ。

伏目がちに、瞳に憂いとたっぷりの恥じらいを滲ませて。
無防備に解かれた栗色の長い髪が、肩から一房サラリと流れる。

十八の、まさに花綻ばんとする瑞々しい肢体に、
厚着は目を釘付けにさせられる。
もうあと一瞬遅ければ、生唾さえ飲み込んでいただろう。



「なんて、冗談です。」



固まってしまったその場の空気を利吉が破り、
スッと身を引いて笑ってみせた。
屈託のない顔で微笑まれれば、たちまち毒気を抜かれた気分になるが。


冷静になって考えれば、さきほど媚態が
無遠慮な揶揄いに対する意趣返しであることなど、火を見るより明らかだ。
一瞬とは言え真に受けてしまった恥ずかしさを、
厚着は顰め面で誤魔化した。


「年配者をからかうもんじゃない!」
「申し訳ありません。…ですが、
 尊敬しているのは事実です。ずっと…子供の頃から…。」
「…。」


改めてはにかんだ笑顔で上目がちに見られては、
これ以上、叱責できない。


「それにしても冗談が過ぎましたね。
 今回こんな形で厚着先生と共同戦線が張れるなんて光栄で、
 我知らず浮かれているのかもしれません。」
「いや、まぁ…それを言うなら私も同じだ」


お互いに、ガラになく言葉でじゃれあって照れている。
こんなくすぐったいような気持ちは、いつぶりだろうか。

何となくそれ以上会話が続かず、黙り込む。
すると突如、襖の向こうから滝夜叉丸の高笑いと自慢話(寝言)が盛大に響き、
厚着も利吉も驚いて見つめあう。
同時に噴き出し苦笑すると、いい具合に肩の力も抜けてきた。

心地良い疲れを感じ、どちらともなく布団に戻る。
オーマガトキの静かな夜は、厚着と利吉をゆっくりと眠りに導いていった。



******



翌朝、厚着の目覚めはスッキリと軽やかであった。
宿で飼っている鶏が明けの一声を放つその前に
瞼が自然に開いていた。


「・・・・・・。」



すぐ隣には、利吉の寝顔。
忍たまたちとそう変わらないあどけなさ。
そんな利吉の寝顔をまじまじと見るのは、厚着にとってこれが初めてだ。


すうすうとまだ寝息を立てる利吉の表情を
キレイなものだと見惚れながら、
少しだけ過去に思いを馳せる。



利吉は、この数年で本当に、目を見張るほど成長した。


広い学園で迷い、自分の後ろ姿を父と間違った彼に、
袖を引かれて振り返った日も。
たどたどしい言葉遣いが愛らしく、笑顔で敬語を教えた日も。
今となっては微笑ましい思い出だ。


のびやかな肢体は、もう一人で何でも出来る力を備え、
形の良い口唇からは、美しい敬語が紡がれる。

はしばみ色の瞳は、意志の強さは変わらなくとも
大人びた節度を湛えるようになった。
振り分けた前髪は幼さではなく若衆然とした色気さえ伺わせる。



起こさないよう気配を殺して伸ばした手は、
柳眉にかかる利吉の前髪をやさしく撫でた。


十歳になるかならないか…彼の幼い頃を知る者として、それを誇らしく思う一方で
成長していく彼をどこか遠い存在に感じて、寂しいと思ってしまうのは何故だろう。



“せめて一度、閨の教えを乞うてはいけませんか…?”



物思いにふける厚着の脳裏に、フッと昨晩のやりとりが甦り
思わず弄んでいた前髪から手を引いた。

きわどい発言を思い出して頬が熱くなるのを止められない。
冗談だと分かっていてなお、胸を掻き乱されてしまったことは秘密だ。



「しかし、ありゃあ、罪つくりだぞ…」



自分だけの所為ではないとどこか言い訳しながら。
厚着は、起き抜けの身体を冷ましに手水舎へと立ち上がった。





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