不惑の翌年に。5



厚着がオーマガトキ城下へ戻ったのは、
日も沈みかけた夕暮れ時。

あたりが闇に包まれるのを待って、生徒達や利吉と合流する。


首尾よく侵入経路を確保すると、
事前の打ち合わせどおり、利吉と仙蔵を救出担当・
厚着と他の生徒達をおとり担当の二手に分けて行動を開始した。



用意されたカモの顔が引っかかったものの。

全体として難なく進み、カモをひろいにやって来た喜三太と
偶然再会できたのは幸運だった。
それを見つけた利吉・仙蔵組がすぐ戻ってきたのも
流石というべきか。


あとは撤退のみ…と順調さに厚着がひとまず安堵した瞬間、
喜三太の「ナメ質」発言が飛び出したわけだが。
これもまあ、は組らしいと言えばは組らしい。

仙蔵が代表してナメ質の救出をもちかけることとなり、
厚着が実戦とはいつも想定通りにはいかないものだな…と苦笑していると、


「喜三太、ついでに夏休みの宿題も、済ませちゃおうか?」
「「「えっ?」」」


突然発せられた利吉からの提案に、その場の全員が驚いたのだった。



***



そして厚着は正直、耳を疑った。
ナメ質発言がかわいく覚えてくるほどに、予想外だった。


さきほど宿題ならもういいと言った自分に対し、
ついでに済ませよう…そう言った青年があまりに対照的で。
こんなに意表を突かれたのも久しぶりかもしれない。

仮にもここは敵地だ。

生徒の救出という目的が果たされた今、
本当ならばナメクジなど置いて、すぐにでも安全な場所へ退くべきである。
百歩譲って家族同然の存在のナメクジは助けるとしても、
そもそも間違いだった宿題のことなど気にしている場合ではないだろうに。


「ど、どういうことだ、利吉君?」
「厚着先生、出すぎた発言で申し訳ありません。
 ですが、私から一つ提案があります。
 ここはまずナメ質救出を最優先にして、
 脱出後で構いませんので聞いていただけますか?」
「……あ、ああ。分かった。」


意図を汲みかねるものの、詳しいことは後…ということらしい。

疑問はさて置いて。
堀の水に浸かりながら急遽、全員で幽閉されたナメ質奪回の
作戦会議を始めたのだった。


流れとしては、そしらぬ顔で喜三太が城内に戻り、
撃ち取ったカモでカモ鍋を用意する…とナメ質の門番をおびき出す。
手薄になった隙に救出し、牢の木枠や周囲を火にかけ
爆発騒ぎを起こしているうちに逃走する―…という算段だ。

話は、異論をはさむ余地もない、定石通りの方法でまとまりかかったのだが


「爆薬を仕掛けた後の手筈は、厚着先生が先陣を切り、
 生徒を間に挟んで殿(しんがり)は私…の順で離脱。それで宜しいですか?」
「――いや、ちょっと待ってくれ。」


脱出に際しての順番。
最後利吉が唱えたその一点だけが、どうも腑に落ちない感じがして
結論を厚着が少しだけとどめる。


そう。
最近気づいたことだが、学園絡みの作戦において
利吉は決して陣頭に立たないが、気がつくと矢面には立っている。
今もそうなりかけているし、
以前、軽身剤騒動の時も殿を務めたこの青年は足首に銃創を負った。


「……。」


珍しく言いよどむ厚着。

胸中にある感情は、教師としての心配や身内感覚の憂い…などではない。

殿(しんがり)を任せることに関しては
利吉の実力に不足がある訳でもないし、
自分が側にいられるこの機会に
難しい経験を積ませてやる意義もあるだろう。

ただ。
頭で分かっていても。


兵法上最も危険な務めの一つとされている撤退の最後尾を、
学園に端を発した騒動で毎回当然のように、フリーである彼へ任せる―…
その現実がなんとなく厭だった。


本来利吉は、彼の父親でさえ「部外者」と評する立場だ。
親子ですら任務内容は他言無用という忍びの規律の中で
誰が血縁に絶対的な拘束力を求めるものか。

そんな部外者の人間を、絶対裏切らない味方として信頼し
作戦の要に配置するという矛盾。

見返りとして学園が利吉に提供できるものとて決して多くなく、
騒動のたび教師より率先して生徒を守るため
命を曝す役回りに値するとは思いがたい。


だからこそ。
これ以上、学園側の甘えであるような役割や責任を
やすやすと十八歳の彼に背負わせたくない気持ちもあった。
これはもう、厚着個人の意地である。


「先頭に仙蔵、中央に私、後方に利吉君で行こう。」
「!」
「それと、仙蔵は正面突破の段階で喜三太を補助するように。
 滝夜叉丸は私の側を離れず、利吉君は左門の補助も頼む。」


あえて低学年の世話を利吉や仙蔵に頼むことで、
両手が空いた状態の厚着は、中央で全員や周囲に目を配ることに専念できる。
殿にも充分な援護をできるし、作戦の要はこれで厚着の掌中だ。
指示の意図を、聡明な利吉はきっと察するだろう。


「「「分かりました。」」」
「よし。」


順番を入れ替えるだけなど些細な足掻きかもしれないが、
厚着はこの判断に小さな手ごたえも感じていた。


生徒でも家族でも…正確には敵・味方とも言えない、
それでも大切な利吉という存在がいるこの状況は。
教師としての務め・忍びとしての務めという大義名分だけでは割り切れない。

なんでも生徒主体で考えてきた日常とはやはり違う。
ただの厚着太逸の視点も必要だった。
そして一人の男として決断を下した瞬間感じたのは、


“覚えているようで、案外忘れているもんだな…”


懐かしい実戦感覚。
なにかがストンと胸に落ちたような思いがあった。


思い出すきっかけをくれた本人・利吉は、
さっそく左門が暴走しないよう結わえる腰縄を用意している。
その手馴れた様子が妙に可笑しくて、少し吹き出す厚着。


「迷子防止か、周到だな。」
「お褒めに預かり恐縮です。は組の相手で鍛えられましたからね。」


敵陣の真っ只中。
守るべき生徒達もいる。
盗み出した火薬の匂いが僅かに漂う、その緊張感の中でも笑い合える。


物陰に潜みながら、隣に感じる利吉の体温を
厚着は改めて嬉しく思った。





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