不惑の翌年に。6



喜三太(ナメクジ含む)救出作戦は、
誰一人ケガをすることもなく、成功のうちに終わった。

目的を遂行したら、もう城に用はない。
爆破の騒ぎに紛れて脱出すると、すぐに城下を後にする。



闇をひた走るその身体を動きづらくさせているのは、
たっぷりと堀の水を吸った忍び装束だ。

まだいくぶん残暑の残る季節だが、夜は秋めいて涼しい。
袴だけでなく小袖までぴったり貼り付く様に濡れていては、
さすがに一晩中このままでいることは避けたかった。
宿題の件も話したい…ということで、全員はそのまま
オーマガトキ領とタソガレドキ領の国境にある山を目指す。


森の中腹までたどり着き、追手がいないことを確かめて
一時休息の場所としたのは、冬しか使われていない無人の狩り小屋。

丸太を組んだ、畳にして6畳あるかないか、
屋根としてやすの木の皮をかぶせ
ヒモはブドウづるの皮を使った簡素なものだ。
生徒たちは喜んで中に入り、
笹やシバが厚く敷いてある床にひとまず腰を落ち着けた。


利吉はすぐには入らず、狩り小屋の周囲を少し歩き回る。
大抵こういう小屋はヤチダモなど生木でも燃える植物の側に建てられている。
夜目をこらして適当な枝を折り中へ入った。


それを受け取った厚着が段取り良く真ん中の小さな炉に火を起こし、
炉の上に吊ってある棚へ、濡れた衣服をかけるよう促す。


「仙蔵は話が済み次第、園田村へ伝令に走ってもらう。
 服も先に乾かして良いぞ。他の者はここで夜営するから後回しだ。」
「はーい!」
「ベチャベチャしてて気持ち悪いから、とりあえず脱いじゃえ!」


ここまで走ってきて、ようやくの休息。
安心したのか、褌一丁で火を囲む生徒たちの顔にも
わずかな笑顔が戻るけれど。


「それにしても…乱太郎たち、大丈夫かなぁ?」


皆、厚着から明朝タソガレドキによる園田村鎮圧が始まると聞いているため
心配の種は完全に消えたわけではなかった。


「立花先輩も、気をつけて下さいね。」
「ああ。お前たちこそタソガレドキの野陣へ潜入するんだろう?
 うまく化けろよ!」


仙蔵は単身園田村へ奔るが、残りの全員は明日
学園に残っている教師・事務員・くの一たちと合流し、タソガレドキの野陣に潜入する。
そこで一計を案じて、園田村はじめ十五村のかばいの制札を獲得するのが狙いだ。


「…そうだ、利吉君。喜三太の宿題というのは…」
「あっ、はい。あくまでもついで…なのですが――」


そして炉の火を囲んで一息ついた後、再び上がった宿題の話。

利吉が言うことには、ドクタケの扇動が上手くいき
タソガレドキが野陣を撤収せざるを得なくなったら、
オーマガトキ領主は独り取り残されるはずだ、と。


「その時こそ、喜三太の宿題を終わらせる好機だと思うんです。」
「!なるほど。」
「名案ですね、利吉さん。」
「「えっ、どういうこと?」」


厚着や仙蔵はすぐさま利吉の意図を察したようだが、
喜三太たちはまだポカンとしている。


「ホラ、大間賀時曲時が一人ぽつーんと取り残されるとするだろう?
 その時にさ、滝夜叉丸の自慢の戦輪を披露してもらったり、
 せっかく戸部先生もいらっしゃるから、ちょっと上着を斬ってもらって。
 すかさず喜三太とナメクジたちが飛びかかれば…ね?」
「わあっ!それ面白そう!!」


茶目っ気たっぷりに利吉が話せば、子どもたちにも想像がついたのか
途端に目を輝かせ始める。


「どうでしょう、厚着先生。」
「そうだな、いいだろう。面白い。
 明日学園長たちと合流したらすぐ、私から話をしてみよう。」
「有り難うございます。」
「仙蔵、そういう事だ。園田村に着いたら、その旨も皆に共有してくれ。」
「はい!」


折よく、仙蔵の着物も乾いてきた。
すばやく支度を整えると、さすがの身ごなしでサッと一礼して
仙蔵は狩り小屋を発っていった。



「――――さぁて!明日は決戦だ。早く寝て備えなさい。」


見送りを終えた厚着が振り向きざま声をかける。
すると、滝夜叉丸が手を上げた。


「その前に厚着先生!ちょっとだけ体を濯いできてもいいですか?
 堀の泥や藻が乾いて、この眉目秀麗な私の肌には耐え難」
「かまわんかまわん。行って来い…。」


語りだした滝夜叉丸の話をさえぎるように、厚着は許可を出す。

狩り小屋のもう一つの特長として、水の便のいいところ
たとえば渓流のほとり・沢の近くにあることが多い。
現にこの小屋も水の音が聞こえ、斜面をすこし下れば河原があった。


「「僕たちも行きたい〜!」」
「利吉君は?火なら私が見ている。」
「いえ、私は平気です。慣れっこになってますから。」
「そうか。ならお前たち、遠くへ行かず手短に済ませるんだぞ。」
「「「は〜い!!」」」


褌一丁になった子供たちは、我先にと沢へ下りて行く。
月も明るく夜目がきく分、安全でいい夜だった。
狩り小屋には、厚着と利吉が残る。


「……急に静かになりましたね。」
「全くだ。」


二人きり。
パチパチ…と木の爆ぜる音が小さく響いた。




***




沈黙の中、厚着は隣へチラリと視線を流す。

焚き火に仄赤く照し出される青年の姿。
体毛がやけに薄い…というかスネまでつるつるである。
いぶかしむ視線に気付いて、気まずそうに弁解を始める利吉。


「あ、これはその…ちょっと、タソガレドキ軍の陣で印を取る際、
 女装して潜入しておりまして…」
「いや、別に――…さすが伝子さんの息子さんだ、なんて思ってはいないぞ?」
「やっぱり!!!!!」
「あっはっは!」


猛烈に厭そうな顔をする青年が面白くて、小気味いい。


「そういやドクタケの駐在所に、一年い組が捕まった時…」
「!」


落乱40巻での救出作戦も一緒といえば一緒だったが、
あの時は少し遠巻きに彼を見ていた。
素直な好奇心は子供の特権だと、どこか自分に言い聞かせながら。


「あの時は利子さんだったか?」
「もう!忘れて下さい…!!」


さらにからかうと、気まずそうに恥じ入る。
そんな表情を向けてくれる事も新鮮で、心はいとも簡単に浮き立った。

目を細めて今一度利吉を見やれば、
滑らかな皮膚が瑞々しい色香を放っていた。


夢と現の境目が曖昧な猿楽能のように、
大人とも子供とも言い難い利吉の存在は
定まりきらない幽けさをもつ。
この手で捕まえておかないと、どこかへ行ってしまう。
そんな風情だ。


「……。」


意識すると急に厚着は、軽口以外かける言葉を見つけられなくなってしまう。
うっかり口を開けば綺麗だとか陳腐な言葉を吐いてしまいそうだった。


“気になりだしたのはいつだったか”


何せ利吉は生徒たちの憧れの的であるから、学園に来た時はそりゃあ目立つ。
落乱45巻・打鳴寺の一件でも、教師ではない忍たまの味方として
その姿を目で追っていた。

つねに賑やかな人垣を遠目に見ながら
「あんなに小さかったのに立派になったなぁ」
なんて思っていたものだが。


ここへ来て初めての共同作戦。
すぐ側に利吉がいて、視線や言葉を交わし触れ合うことで、
その存在をより強く意識するようになった。


どこにも属さないという曖昧な立ち位置。
距離の測りかねる関係性。
どれだけ身近な存在でも、考えれば考えるほど
利吉の立場は「特異点」なのだ。
近いくせに、どこまでも遠い存在。
それが、やけにもどかしい。


“この感情は…”


体の内に沸いた靄を逃がすかのように、厚着は深く息を吐いた。



ふと、堀の水に体温を奪われたせいか
利吉は体勢を変え、自らの膝を抱えて暖を取る。
見慣れぬあどけない仕草が、厚着の鼓動を一段高鳴らせた。

気を紛らわせようとしていると、ふつふつと悪戯心が湧いてくる。


「どれ、いい機会だ。筋肉がついているか見てやろう。」
「えっ?!あ、いえ、大丈夫です…っ」


手をかざして制止する素振りを見せるが、それも遠慮の域を出ない。
照れくさいのだろうと踏んだ厚着は、利吉の腕へ手を伸ばした。

わずかに湿った皮膚はしっとりとした感触で
厚着の手のひらに吸い付くようだった。
気化熱で奪われた体温は低く、女性の肌のようにひんやりとしている。

腕の筋肉の形を確かめるように撫で、肩口へ遡っていった。


“肩は、まだまだ薄い、か…”


遠巻きに見ている分には、若々しく頼もしい。
力量とて申し分ない。
だと言うのに、こうして肌を寄せてみると
利吉がまだ子供と大人の境界線に立っている存在であると
つくづく思い知らされる。


“触れてみて、初めて分かることもあるよなぁ。”


知らなかった表情や思いを目の当たりにして、
厚着は眩しいものを見るかのように瞳を細めた。

早ければ明日中に片が着いて、こうして二人で夜を明かすことは
もう金輪際ないかもしれない。そう思うと居た堪れない。


「…っ、厚着、先生?」


くすぐったそうな様子に、こみあげる衝動があった。
肩を押さえたまま顔を近づけ、首筋に吸い付く。


「…!!!!あ、厚着先生!な、にを…!」
「じっとしていなさい。」
「あっ、や…!」


咄嗟に逃げようと浮き上がった腰を掬えば、
あっけなく利吉は押し倒され、厚着は容易く彼の上に乗り上げた。
厚着の、教師らしからぬ表情に焦りを覚える利吉。

今にも触れ合いそうなほど近づいた口唇。
手首を押さえつけたまま、ぎりぎりの距離で低く囁く。


「そういえば昨日君は」
「え?」
「“実技”を教えてくれと言っていたな?」
「〜〜〜っ!!!!」


動揺に、カッと利吉の顔が赤みを増す。
が、それを隠すことなくすぐに鋭い視線を投げつけてきた。


「かっ…からかいましたね!!!」
「ははははは!!いや、すまん。仕返しとはおとな気ないことをしてしまった。」


意趣返しに気付いた利吉が怒り出すと
厚着はすぐに両手を上げて、利吉の上から身を離す。
そうこうしているうちに、何も知らない子どもたちが沢から戻ってきて
雰囲気は元通りになったのだが。



秋めいてきた夜は長く、まだまだ宵の口。



体がさっぱりして眠くなったのか
子どもたちはすぐに折り重なるように熟睡してしまい、
ふたたび厚着と利吉だけが向き合うまでに、さほど時間はかからなかった。







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