どこにも属さない 9


そして再び。
物語の舞台は、ドクササコの出城に戻る。


散歩から帰ったすご腕忍者は、利吉の体調を案じて
すぐ布団へ入って横になるよう促した。

最初のうちこそ、利吉は「大丈夫ですよ」と苦笑していたものの、
部下達がいない奥の間の静けさに言葉数が減っていき。

障子越しに入る夕陽の暖かさに、眠りへ誘われていく。

何より、病み上がりの外出とすご腕からの告白で、
心身ともに疲れを隠し切れなかったらしい。

結局、身を横たえて間もなく、利吉の穏やかな寝息が聞こえ始めた。


そのまま暫く。
すご腕は利吉の寝顔を見つめていたが、
穏やかな時間が長く続くことはなかった。



――――――――――…カタリ


と小さな物音を聞き拾うと、途端にすご腕の表情は冷徹な光を帯びる。
眉間の皺を一層深くして立ち上がった。

奥の間の襖を開けて廊下に出ると。

黄昏時の薄暗い空間に人影が二つ。

荒縄でぐるぐる巻きにされている「白目」の部下と
見間違えようもない、山田伝蔵がそこにいた。


「―…ドクササコのすご腕忍者よ、邪魔するぞ。」


先んじて口火を切ったのは、伝蔵。

すご腕は、突然の侵入者にも驚かず、ただ
来るべき時が来たのだと思った。

散歩から戻って部下の姿が見当たらなかった時から、
何となく予想はしており、それが的中していただけのこと。


「お、お頭ぁ〜っ!申し訳あ…」
「分かっている。騒ぐな、ちょうど今、利吉が寝入ったところだ。」


すご腕の第一声は、利吉への配慮を伺わせるだけでなく
伝蔵の不躾な訪問を批難しているようでもあった。

ひるまず伝蔵も会話を続ける。


「そうか。…利吉が随分世話になったそうだな。父親として礼を言う。」
「ほう、わざわざ単身、敵陣に侵入してまで礼を言いに来たのか?」


伝蔵としては、愛息子の命の恩人にまずは礼を、と
筋を通したつもりだったが。

すご腕に取り合う気など全くない。
明らかに嫌味と分かる言い方に、伝蔵はすぐ本題を切り出すことに決めた。


「いいや、それだけじゃない。利吉をこちらへ引き取らせてもらいたい。」
「イヤだと言ったら?」


けれどその本題ですら、こちらを試すような軽口で即座に返される。
伝蔵の眉が、顰められた。


「…何が望みだ?金か物資か?ワシ個人で融通の
 利くことであれば、謝礼代わりに幾ばくか用意しようじゃないか。」
「望みなどないさ。」


伝蔵にとっては大きな譲歩になる提案も、すご腕忍者は鼻で哂う。
交渉の余地が皆無であることは、想定外だった。


「何だと?……貴様、利吉を利用して何を企んでいる?」
「企むとは人聞きの悪い。」


ドクササコが利吉を引き留めたがる理由など、伝蔵には全く分からない。
対価として金銭や物資を要求されたほうがまだ理解できるだろう。
山田伝蔵という人間は、確かに無類の優秀な忍びであるが、
“掌中の珠”である利吉に関してのみ、驚くほど呆気なく冷静さを失うのだ。

ゆえに、この時。
伝蔵の心で焦りが生まれ、焦りが言葉に棘を生やす。


「……こちらには人質がいるんだ。一人だけ案内人として連れてきたが、
 まだ学園にお前の部下達を預かっているんだぞ…。」

「はははっ!条件交渉が決裂した途端、息子の命の恩人たちに脅しとは!
 さすが忍術学園の教師だな、恐れ入る!」


しかし、最終手段の人質策もからかわれるばかりで、取り付くしまがない。
歯噛みする伝蔵。
ペースは完全にすご腕が掴んでいた。

余裕の表情を浮かべたまま、すご腕は一歩、伝蔵へと距離を詰める。


「最初は、お前たち学園が騒ぎ出したら適当に身代金でも搾り取って
 返してやるつもりだったんだがな………気が変わった。」


すご腕にとって、もはや利吉の存在は
金銭や物資と引き換えに差し出せるほど安易なものではないのだ。


「あいつは、今記憶を失って、俺たちの仲間として療養している。
 何も事を急いて、せっかく慣れた環境を変えることはないだろうが?」


このすご腕の言葉に勢いを得たのか、部下もまた、そうだそうだと騒ぎはじめた。
そして、縛られたままではあるが、必死に伝蔵を見据えて訴えかける。


「お前に引き渡したら、利吉さんは記憶を取り戻すかもしれないけどな!
 またフリーのプロ忍者として生きて、また大怪我を負って倒れたとしても、
 今度助けられる保証なんて……どこにもないんだぞ!」


戦乱の世の中に。
学園関係者という希薄な立場は、決して身を護ってくれるほどの力を持たない。
結局のところ、フリーと言えば聞こえはいいが、
同じ目標や苦楽を共にする仲間など側に一人もいないのだから。


「もし記憶を取り戻して…それで利吉さんが自分で選んで
 ココを出て行くのは仕方ないけど…。今の利吉さんは、俺達が助けた
 俺達の仲間だ!人質にされたって引き渡したりするもんか…っ!」


真摯に向けられる言葉は、伝蔵の胸を抉る。
どちらが“今の利吉”を尊重して発言しているのかは明瞭で、
返す言葉が見当たらない。


「き、記憶を取り戻すまで、お前たちを信用して預けろと言うのか?!」


たじろぐ体を走るのは、敗北感。
利吉を思いやる心という点で、目の前の他人に劣ってしまったのではないかと。


「助けたのは俺達だ。今の利吉にとって一番どこが安心か考えろ、と言っているだけだ。」
「ぐ…っ」


記憶を取り戻すまで、そっとしておいてやりたい。
自分達が、仲間として側で支えたい。
そんなすご腕忍者たちの仲間意識は、不本意だがよく分かった。

ただ。

「そんなもの…っ」


やはり。

親の勝手なエゴだと分かっていても、
伝蔵は利吉を連れて帰りたかった。


「そんなもの、父親であるワシの傍が一番安心に決まっておろう!」
「過保護もここまで来ると哀しいな、山田伝蔵。」
「親が子を案じて何が悪いッ!」


いよいよ余裕を失った伝蔵が、勢いに任せて拳を壁に叩きつける。

もはや伝蔵が理屈では引き下がらないことを悟ったすご腕は、
少し奥の間を気にする視線を送ってから、やれやれと肩を落とした。


「―――なら、その親子の絆とやらを試す、賭けをしようじゃないか。」


  すご腕からの提案に、伝蔵は品定めするような視線を向ける。


「今から利吉を起こして貴様と対面させてやろう。
 その場で利吉が記憶を取り戻せば、素直に引き渡そう。
 取り戻さなければ、利吉は引き渡さない。」


「――――――――――――…いいだろう…。」


しばらく考えた後、伝蔵は賭けに乗った。
このまま言い争っていても、単身敵陣に乗り込んでいる己は分が悪い。

利吉に会うことすら出来ないままドクササコと一戦交えるよりは、
賭けに乗ったほうが賢いと。
幾分熱くなり過ぎた思考回路で判断したのだ。




その時。


「……どなたか、口論されているのですか?」


戸惑ったような声がして。

スラリと内側から襖が開けられた。






10へ続く

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