恋と純朴 2


そして相変わらずお頭からの出港命令は出ないまま、
お昼も過ぎようという頃。




鬼蜘蛛丸の淡い期待に応えるかのように、
編み笠と蓑を被った人影が一つ。

雨霞にけぶる松林の小道に浮かんだ。


軒先で延縄を編んでいた「山立」の目は、勿論それを見逃すことなく。


「…っ!」

編んでいた延縄を脇へ置いて、
雨に濡れるのも厭わず水軍館の戸口へと出た。
半ば諦めかけていただけに、喜びと驚きで胸が一杯になる。



「利吉さん!」
「あ!鬼蜘蛛丸さん、こんにちわ。」



鬼蜘蛛丸を見つけた利吉は、一度立ち止まり会釈し
そして嬉しそうに砂浜を駆け寄ってくる。


礼儀正しさと笑顔の愛らしさに
そのまま抱きしめてしまいたい衝動に駆られたが。

間近で見れば、菅笠で庇いきれなかった青年の襟足や元結は
しとどに濡れて、水滴が伝い落ちている。



「!いけない、とにかく中へ。」


風邪をひいては一大事、と慌てて水軍館の玄関へ案内した。















「…お邪魔します。」
「どうぞ…。」


水軍館の玄関に、二人の声がぽつりと響く。
会話は、それだけ。
あとはサァサァと雨音だけが格子戸から入り込んでくる。


せめて利吉が雨具と草鞋を解いている間、
何か気の利いた世間話でもすれば良いものの、
鬼蜘蛛丸自身そういった軽口が得意でなく、ついつい黙りこんでしまう。



「…。」
「…。」



上がり框で五月雨にうたれた蓑をほどく、何気ない仕草。
蓑から現れるのは、紫陽花に似た優しげな浅葱色の小袖。


“うわ…”


さながら羽化したばかりの蝶の様で。
荒っぽい海賊ばかりに囲まれて生活している男の目には、
とてもとても眩く、そして艶っぽく映った。




一方で、そんな風に見られているとは露知らず。

「あの…ご迷惑だったら…すみません…。」


凝視にも近い視線に気づいて、利吉は少し表情を曇らせる。


「へ?」
「時化続きで不漁かと思ったのですが、約束を違えてはと…来てしまいました。
 だ…第三協栄丸さんにご挨拶して、次の日取りを決めたらすぐお暇します。」



どうやら、自らに注がれる視線と沈黙の理由を
逆方向に勘違いしたらしい。
はじかれたように、


「えっ、いやいやいや!!違いますよ!!!!」

かぶりを振って否定する鬼蜘蛛丸。


「俺はむしろ嬉しいですしっ」


誤解されまいと慌てるあまり、本音がつい零れ落ち。
二人の表情が、ぴたりと同時に固まった。





「…え、と」
「や!じゃなくてっ…お、お頭も喜ぶと思いますんで!
 今、呼んできます!そこの客間で寛いでて下さいっ!!」



苦しい言い訳を残して、言うなり廊下を走り去る。




後に残された利吉は、しばらく狐につままれたような顔をしていたが。
短く息をついて、客間へと腰を落ち着けた。



3へ続く

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