Dear,I always hold you.




 今年もあなたが来てくれました。
 お元気そうで何よりです。でも、私の足元で幹に背を預けるあなたは、私の少しだけ
残った花には目もくれず、植えられたばかりの頼りない苗がそよぐ田んぼや、育ちはじ
めでひょろひょろした、まだ何の作物かもよくわからない畑ばかり眺めています。
 既に葉桜とはいえ、この村で一番大きくて、村人中から自慢にされている私です。な
のに久しぶりに来たあなたが稲やら葱やらラッキョウばかり見ていると、桜としてなん
だか不安になってきます。
 ねえ、どうして畑なんて見ているんですか。



 初めてあなたに出会ったとき、あなたはまだ小さな少年でした。
 あなたが眺める先の、あの赤い髪の人がこの村に住み着いてすぐのころです。
 山を越えてこの村に入ったあなたは、「家の集まったあたりの先の大きな桜の木を過
ぎて少し行った家」が留守だったので私の足元に来て、平和な農村の風景を眺めていま
した。
 私を見あげ、若葉をその強く光る眼に映しながら、きれいだなあ、とあなたは心の中
で呟きました。
 今よりさらに夏に近い季節で、葉桜というのもおこがましいぐらいになっていた私は
、桃色の頬といい、五月の小川の光を凝らしたような眼といい、木漏れ日を浴びて眩し
そうに私を見あげるあなたの方がずっと可愛いよと思っていました。
 やがてあの人が戻って来て、きれいなところですねとか、仕事は慣れたかとかあなた
たちは親しそうに話していました。そうそう、あなたがあの人を「先生」と呼ぶので不
思議に思ったのを覚えています。来年は満開の時に来いよ、とあなたの先生は言ってい
ましたっけ。


 次の年もあなたが来たのは葉桜の季節でした。
 仕事が都合つかなくて、というあなたは、なんだか少し痩せたようです。一年ぶりに
会い、大人っぽくなったということでしょうか?いいえ、あなたはまだほんの少年、肉
が落ちるような成長のしかたをする歳ではありません。
 私の満開に間に合わなかったのをあの人は残念がって、来年はちゃんと花の季節に来
いよ、約束だと言いました。あなたは微笑んだまま、少し複雑な顔をしていましたね。
忍者が花見になんか来れないよ、それ以前に来年生きてるかなんて怪しいよとあなたは
思っていたのでしょう。でも、そう約束させたかったあの人の気持ちもわかってくださ
い。
 次の仕事があって急ぐからと、あなたは泊りもせずに行ってしまいました。
 あなたの姿が見えなくなった後のあの人の苦い吐息、あの人のあんな顔を見たのは初
めてでした。


 その後、あなたとは意外に早く再会しました。
 同じ年の秋、あなたは瀕死の傷を負い、仲間の忍びに背負われてここに来ました。
十日も眠っていたんですよ。あなたが特別なのかもしれないけど、人間の生命力がそん
なに強いとは知りませんでした。
 あなたが生死を彷徨っていた間、あなたの看病をもう一人の忍者に任せ、追手に気取
られぬようあの人は何食わぬ顔で畑に出ていました。家を出て私の前を通りながらなん
でもない顔を作り、一日の仕事が終われば笑いながら百姓仲間と家路を辿り、彼らと別
れて私の前を過ぎるときには塞き止めていた感情が溢れ出していて、何もできない私も
とても辛い思いをしました。

 蘇ったあなたは順調に回復し、霜が降り、年が変わる前にはこの家を後にしました。
そして冬が終わるころにまた来て、看病の礼を言ってこれからまた仕事に出ると告げました。

 行ってはいかん、という言葉に、あなたは目を丸くしましたね。
 あの人は驚くほど的確な言葉で、前の春に会った時のあなたの様子がおかしかったこ
と、自分の心を律することができないうちは忍びをする資格がないこと、今回は死にか
けたのが自分だったからいいけれど、一歩間違えればあなたの未熟のせいで仲間を死な
せたかもしれないのだと説きました。死にかけたのがあなたでよかったなど本当はあの
人は少しも思っていませんが、あなたにはこれが一番効いたようです。

 どうだ、違うか?と問われあなたは答えません。
 石になってしまったようなあなたの肩に、あの人は手を伸ばそうとしました。
 その手が触れる前に、あなたがついと立ち上がります。
 自分の心を自由になんて、私には一生かけてもできそうにないです。だったら不完全
なままでも、戦いながら強くなるしかないじゃないですか。
 大丈夫です。冬の間、家で父の稽古も受けましたから。
 そしてあなたは数か月後の春も、その次の年の春も、あの人の前に姿を現しませんでした。


 あなたが消息を絶っていた一年半の間、本当はあなたは一度だけここにきて、私に会
っていましたね。
 最後に会った年の、凍てつく十二月の夜でした。

 村はずれの森から音もなく黒い影が吐き出され、はじめは獣か魔の類かと思いました。
 獣でないと分かったのは、それが全身に浴びていた血が人間のものだったからです。
 どうしたらそんなになるの、というぐらい返り血を浴び、自分もまた傷を負って血を
流していたあなたは、音と気配をひとつも立てずに村道を歩きました。
 風が話しているので知っていました。ここから山をいくつか越えた場所で戦があり、
あなたが来たのはその方角からでした。

 あの人の家の戸を叩くかと思いきや、あなたは私の前で立ち止まり、そのまま動かな
くなってしまいました。
 じっと立っていられないほど寒い夜です。濡れた着物が冷えて凍えてしまうのではと
心配になり、思わず私は話しかけました。
 どうしたの、人間の男の子。あの赤い髪の人の家に入っていいのよ。

 ―――ねえ、私は、人間の子じゃないかもしれないよ。

 返事があったことに驚きましたが、全身に人の血を浴びた状態で、あなたが言いたい
ことはわかりました。

 いいえ、あなたは人間よ。いつか私を見上げて、きれいと言ってくれたではないですか。

 私の声が聞こえたのか聞えなかったのか、あなたは黙って背を返し、再び来た闇に消
えてしまいました。

 今思い出すと、自分を馬鹿!!と罵りたくなります。
 せっかく言葉が通じたなら、あんなことより、私は教えるべきことがあったのに。
 あの赤い髪の人は、あなたの手がどんなに血塗れて汚れていても気にしないと。
 あなたがどれだけ自分を嫌いになっても、必ずあなたを見つけてくれると。
 たとえあなたが人の道を踏み外して、鬼に変わってしまったとしてもね。
 身も心も傷ついたあなたが助けを求めて来たというのに、本当に、ごめんなさい。

 あなたがそのころ取り組んでいたのは、ずいぶん大変な仕事でした。
 怪我でまる一冬前線から離れてしまったあなたは、復帰してすぐ大仕事を得られたこ
とを幸運と思い、成功させようと必死になりました。
 慎重を期し、どこでどれぐらいの期間の仕事をするかご両親にも告げず、でも初めに
考えていたよりそれはずっと込み入った仕事で、気付くとあなたは春から次の春、そし
て秋が来るまで家族にも、もちろんあの人にも連絡ひとつよこしませんでした。
 厳しい仕事からやっと解放されて初めて、あなたは自分が音信不通にしていた月日を
計算し、これは相当心配をかけたのではないか。というより、もう死んだと思われてる
のではないかと気付きました。

 すぐにご両親には手紙を書いて、遠い記憶を辿り、最後に会ったのはあの人だったな
とあなたは思い出しました。
 最後に会ってその後私が死んだと思ったら、先生さぞ寝覚めが悪かっただろうなあ。
 的外れな心配をして、筆を置いたあなたはこの村に足を向けました。


 夕方のことでしたね。

 刈り入れの済んだ田畑のあぜ道で、数人の農夫が夕日の中で長い影を落しながら談笑
しています。水の落とされた田には稲の束が干され、今年の収穫が無事終わったばかり
でした。赤く照らされた農夫たちの顔は満足感に満ちています。
 そのうちの一人の髪は夕日を受けて炎のように輝いて、伝説の生き物みたいだなと遠
くから見たあなたは思いました。
 街道の方から歩いて来るあなたにその火の生き物が目をやります。
 表情も見えないぐらい遠い距離から、律義なあなたは一度立ち止って会釈します。
 農具を放り捨て、叫んであの人は駆けだしました。
 農夫たちが呆気にとられて見ています。それよりもっと呆然としているあなたを、あ
の人は奪い去るような勢いで抱きしめました。
 固まっていたあなたははっとしたように少しじたばたして、頑丈な腕がびくともしな
いのでやがて諦めて、そのままずいぶん長い時間が過ぎました。

 ここから先は私が語るまでもないことですね。
 あなたはちょくちょくここに来るようになりました。
 わざわざ桜の季節といわず、春にも夏にも、秋にも冬にも。



 今日はまた葉桜の季節、あなたは私の下で休んでいます。なぜか必ず満開の時期を外
し、百姓たちが苗を田畑に植えたあと、あなたが葉桜の頃に来るのは、もう恒例のよう
になってしまいました。

 目に焼き付けておきたいんだ。

 ふいに若葉の匂いに似た声が言います。
 あなたですか。若葉を爽やかに揺らしていく風のような、人間の心もこんなに優しい
声が出せるのですか。
 いつかの夜とはまるで違う、これがあなたのほんとうの声なんですね。
 葉擦れの音も枝のしなるのもできるだけ止め、私はあなたの続きを待ちます。


 大木先生が丹精した田んぼや畑。
 これから太陽や愛情をたくさん受けて育っていく野菜と稲。
 目に焼き付けて、どこまでも持って行きたいんだ。
 土も風も鳥も人も、もちろん美しいあなたも、大木先生のいる杭瀬村の風景が全て好き。

   そういってあなたは言葉を切りました。
 ちょうど来た風に若葉と花をいっぱいに揺らして、私はあなたに応えます。
 私を見あげて、あなたは微笑んでくれました。

   畑で働いていたあの人が、強い風にふとこちらを振り向きました。
 あなたをみとめ、素晴らしくすてきな顔で笑ったのが遠くからでもわかります。

   そうだ、今日はまだ言っていませんでした。
 私に人間の咽喉はないから、あの人と一緒に言いましょう。

 おかえりなさい、利吉さん。

   自在に夜を渡る忍びのあなたは、本当にどこまでも行くのでしょう。
 美しい出来事もあれば、苦しみも普通の人間よりずっとたくさん引き受けるのでしょう。
 どうしてもとあればこの世を踏み出すことすらあなたは受け入れる覚悟をお持ちです。

 どんなに遠くに行っても、あなたの言った通りこの村の風景を覚えていてください。

 風も水も生命も、この村のみんなを代表して約束します。
 私たちはあなたと日の差す暖かい場所をつなぎとめましょう。
 あなたの胸の中で、あなたの大切な人と一緒に、いつもあなたと共にいます。







 利吉屋さんへ、サイト改装おめでとうございますの小説風感想文:
 お読みいただいたこちらは、作者が利吉屋の管理人がまがえるさんの大利作品に感動
し、自然に浮かんできた光景を小説風にまとめた感想文です。大好きな利吉屋さん、ず
っと応援しています。
kusanoumi 春山 拝





◆御礼
 …ということで、サイト改装に伴い、「kusanoumi」春山様から
 大利小説を頂きました…!!!!末尾になりますが御礼を…!
 本当に有り難うございます…!

 杭瀬村の色とりどりの四季と、利吉さんの成長。
 それを見守る桜の木と、大木先生の大らかな愛情。
 ひしひしと利吉さんを包む温かさが伝わってきて、読むたびに叫びだしたい気持ちになります。
 これから桜の木を見るたびに、私はこのお話を思い出してジタバタするんでしょう。

 特に秋の夕暮れ、大木先生が利吉さんに駆け寄るくだりが、本気で好きです。
 こんな素敵なお話を頂けるなんて、同人冥利に尽きますね(涙)
 大木先生と利吉さんのカップリングの魅力が、全部詰まっているといっても
 過言ではない作品ですもの…(;_;)
 末永く大事に展示させて頂き、もっと私に画力と技術がついたら、
 この大好きなシーンを絵に描いてみたいなぁと企みつつ。


 亀更新ではありますが、これからも「利吉屋」で細々
 利吉さんへの愛を叫んでいこうと思いますので、どうぞ宜しくお願いします;;




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