親鳥ひな鳥






額に巻いた鉢巻を漉して頬を流れ落ちてきた汗を
首に掛けた木綿の手拭で拭きながら、大木は腰を伸ばした。

畑には春蒔きしたラッキョが収穫を待って、長い茎葉を青々と揺らしている。
今年のできばえに満足しながら立派に育ってくれたラッキョを見渡していると、
この季節に相応しい爽やかな浅葱色の小袖が目の端に映った。


「大木先生!」


凛と涼やかな声が懐かしい呼称で呼ぶ。
かつての同僚教師の息子、利吉だ。

大木が教師をしていたのはもうずいぶん以前のことだが、
利吉はいまでも大木を『先生』と呼ぶ。
「おう」と大木が声を片手を挙げると、
「ごぶさたしています」とにこやかに手をふり返してくる。

利吉のことはまだ赤子の時分から知っているが、本当に大きくなったものだと思う。
幼いころは「ましゃのすけ、ましゃのすけ」と舌足らずな声で呼びながら
大木の後をついてまわったものだが。


「利吉、久しぶりだな。せっかくだから手伝っていけ」
「そうおっしゃると思ってました」


利吉も端からそのつもりだったらしい。
用意していた襷で手際よく小袖の袖をたくし上げ、
袴の裾を折り上げるとすぐに腰を曲げて収穫に取り掛かった。

心地よい恵みの風がらっきょの葉を揺らし、利吉の小袖をはためかせていく。
利吉に会うのは種まき以来だが、
変わりなさそうな姿をたしかめてから大木も収穫に戻った。



 *** *** ***
 


「うわぁ、ご馳走ですね」


食卓にらっきょのチラシ寿司をはじめ、はんぺん、肉巻き天婦羅、
しらす和え、人参と胡瓜の酢の物、生姜味噌和えと、手製のらっきょ尽くしを並べる。


「ふふん、ワシが本気出せばざっとこんなもんだ」
「いただきます」


嬉々として両手を合わせる利吉の口の前に、「ほれ」と箸で挟んで天婦羅を出す。
忍者として、正しい箸使いは基本中の基本だ。


「え…と、大木先生?」


利吉が目を丸くして、箸に挟まれた天婦羅と大木の顔を交互に見る。


「どうした? さっさと食わんと天つゆが垂れるぞ」
「いえ、ですからそのっ、自分で食べれますし……」


わたわたと両手を顔の前でふって断ってくる。


「遠慮するな。それともなにか、おまえ、ワシの出すものが食えんというのか?」
「ち、違いますっ。だから――…ッ、
 あーもうっ、食べればいいんでしょう、食べればっ」


真っ赤な顔をしてヤケクソのような表情で「あーん」と口を開ける利吉を見ながら、
こみ上げる笑いをかみ殺す。


「どうだ?」
「……とっても美味しいです」


もぐもぐと口を動かしながら、利吉が視線を合わさないようにして答える。


「そうか、なら次はこれだ」


大木はチラシ寿司の碗を手に取り、利吉の一口には少し多すぎる飯を箸に乗せた。


「ちょ、本当に…あとは自分で食べれますから」
「いいから食え。一口食べるも二口食べるも同じだろうが」


ほれ、と箸ごと唇に押しつけると、ちら…っと拗ねたような上目で睨んでから、
観念したようにぱくっと寿司を頬張った。
もぐもぐごくん…と利吉が飲み込むのを見届け、もう一口食べさせる。


「おお、なんか楽しいのぉ。小鳥でも育てとる気分だ」
「好き勝手なことばっかり言って…」


反抗しても無駄と悟ったのだろう、利吉は大人しく出されるがままに食べている。


「どうだ、美味かろう。全部今日おまえが収穫したらっきょだ」
「へぇ、そうなんですか?」


利吉は目を輝かせて、改めて食卓に並んだ料理を見つめている。
次は和え物を食べさせてやろうと小鉢に手を伸ばしかけたとき、
ぽつりと利吉が口を開いた。


「……やっぱり、体を動かして働くのって気持ちいいですよね」
「なんだ、唐突に。お前だって体を使って働いてるのは同じだろうが」
「全然違いますよ。朝起きて陽の下で汗水流して、
 日が沈むまで一生懸命働いて、自分で収穫したものを食べる。
 なにより贅沢な暮らしですよね」


そう言ってから、利吉はアハハ…とはぐらかすように笑った。
夜闇を友とする、忍者の生活とは真逆の暮らし。
大木自身、もう一度かつての忍びに戻りたいかと訊かれれば、即答できない。


「よぅし利吉、今日はたんと食っていけ。
 足りなければまた作ってやる。らっきょなら幾らでもあるからな」


ぐしゃぐしゃっと嫌がる利吉の頭をひとしきりかきまわしてから、
利吉の口にらっきょを放り込む。


「利吉、そんなに畑仕事が気に入ったなら、忍者なぞ辞めてワシのとこに来るか?」
「えっ?」


いつになく真面目な口調で告げると、利吉がぽかん…と口を開いて、
口中に入れたばかりのらっきょが転がり出る。
ころころ…と大木の膝元まで転がってきたらっきょを自分の口に投げ入れ、
ガリガリと噛み砕く。


「なに、お前一人くらいどうとでも養ってやる。それにワシのところに来れば、
 昼だけじゃなく、夜もたっぷり汗を流させてやれるしな」
「ええ、ちょ…っ、なにふしだらなことをおっしゃってるんですか!」


少し怒ったような口調で慌てまくっている利吉に、大木はぷっと吹き出す。


「おまえ、なにか勘違いしてないか? ワシが言ってるのは竈仕事(飯炊き)のことだぞ?」
「――…ッ!」


利吉の顔がみるみる赤く染まって、今にも湯気を噴きそうだ。


「ふん、少し会わないうちにすっかり色気づきやがったか。
 だが、おまえがそっちの方がいいと言うなら相手してやってもかまわんぞ」
「結構ですっ!」
「まぁそう言うな。こう見えてもワシはテクニシャンだぞ?」


ニヤニヤ笑いながら人差し指と中指をことさらいやらしく床に這わせ、
利吉の座布を上って袴の合わせに指を突っ込もうとしたところで、
パチンと思いきり手を叩かれた。


「なんじゃ、減るもんでもあるまいし」
「そういう問題じゃありませんっ。大木先生の助平! 変態! セクハラ親父っ!」


と、ムキになって言い募ってくるさまは、まだまだ子どもの証だ。
幾つになってもからかいがいがある。


「ま、その気になったらいつでも言え」


ガシガシガシとなだめるように利吉の頭をかきまわすと、ふたたび箸を手に取った。


「ほれ、あーんと口を開けろ」


じとっ…と、利吉は恨みがましげな目で大木を見つめていたが、
やがて何も言わずに口を開けた。
カラカラと笑いながら味噌和えを口に運んでやる。

今夜はどこまでも親鳥の気分だ。



―了―



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