stereotype 前
仕方ない。利吉は大きく息をついて、気持ちを切り替える。
長い仕事が終わり、久しぶりに訪れた忍術学園だったのだが、生憎“校外学習”とやらで、忍たまと教員のみならず、事務員までも駆り出され、残っているのはほんの数名。
急ぎの仕事はないが、いつとも知れない帰りを待つほど暇ではないし、目当ての人がいないのに学園に居続けるのも気が引ける。たまには実家で母親孝行をするのも悪くないか、と考えを切り替えた利吉は、食堂のおばちゃんに伝言を頼み正門へと向かう。
その途中。利吉の耳に、ドンッという微かな音と震動が届く。
――敵か?
考えるよりも先に身体が反応する。音源に当たりをつけて駆け出しながら、利吉は周囲の気配を探る。
立場的にも立地的にも、味方も多いが敵も多い忍術学園。不在時こそ狙われやすい。
たぶん、この辺りで……。
庭に異常はない。利吉は迷わず濡れ縁になっている廊下にあがり、気配を潜めながら角を曲がる。
その、開けた視界の先に。
腰を抜かしたように、ぺたんと座りこんでいる人影。その目の前の戸が半ばほど開け放たれ、そこからもうもうと白い煙が噴き出している。
思わず渋面になりながらも、利吉は気配を潜めたまま音もなく歩み寄ると、座り込んだまま利吉に気づきもしない事務員の襟首を掴み、そのままの速度で一切の躊躇もなく引きずって移動させる。
何があったか知らないし、知りたくもないが、二次爆発の危険性が残る戸口の前に、小松田を放置していられるほどには、利吉も冷淡ではない。
「一体何をしたんだ?」
「あ、利吉さん。お久しぶりです。どうしたんですか? そんな怖い顔して」
驚き目を丸くしながらも、暢気に挨拶してくる小松田に頭を抱えたくなるのを、利吉はぎりぎりの理性で辛うじて堪える。
「なにをしたんだ、あれは」
「誰もいないし暇だったんで忍術の勉強をしてたんですけど……。何で爆発したんでしょう?」
こくんと音さえしそうなくらい気楽に首を傾げる小松田に、叫びたくなる衝動をぐっと拳を握って堪える。
「忍術?」
「あーー!! 利吉さんっ! どうしましょう! 大切な忍術の本、中に置いてきちゃいました〜」
半泣きになって、勢い利吉の胸にとりすがるように掴みかかる小松田。利吉が避けるより一瞬早く、小松田の手が袷を掴む。そのうえ、どう足掻いても引き剥がす事もできず、利吉は辟易する。
「大木先生に貰った凄い貴重な忍術の秘伝書なんですっ!」
「わかった! わかったから。私が取って来るから、小松田君はここで大人しくしてろ。いいな!」
「はいっ 利吉さん、ありがとうございます」
大げさに感謝する小松田を無視して、利吉は部屋へと飛び込む。
体勢を低くし、口と鼻を袖で覆う。微かに感じる匂いからは、火の気が上がる時のきな臭さは感じられない。煙の様子からしても、火薬がメインの爆発物というよりは、煙幕に近い物だろう。
爆発の危険がないのなら、ゆっくり煙が薄れるのを待つのが一番だが、中に入ってしまった手前、閉じる事も庇う事もできない目には、長く留まるには辛い状況だ。かといって、手ぶらで戻ったら小松田に何を言われるのか分からない。
わずかな視界と勘で、部屋を探る。幸い狭い部屋で、ほどなくして片隅に置き去りにされている本が見つかる。それを掴むと利吉はさっさと部屋を出る。
「利吉さん」
駆けよって来る小松田の手の中に、見つけ出してきた本を押し込めると、利吉はずっと我慢をしていた咳をする。
いくら覆っていたとはいえ、強固に残る煙を吸い込んでしまっていたので、そう簡単には止まらない。
「だ、大丈夫ですか? あ、これどうぞ!」
利吉の周りでただおろおろとしていた小松田が、竹でできた水筒を差し出す。
何の気もなしに。
差し出された水筒を受け取り、中の液体を口に含む。
途端に。
口中に広がる、微かな違和感。
一瞬。躊躇ってから、利吉は口の中の液体を吐き出す。
「小松田君、これ――」
利吉の行動をきょとんと見ているだけの小松田に抗議をしようとして。
全身の力が抜けていくのを覚える。
視界が歪み、世界が回転する。足元から這い上がってくる脱力感。その波を食い止めることができず、利吉は廊下に膝をつく。
それでも。波は勢いを増して、利吉に襲いかかる。
眩む視界。薄れる感覚。
目の奥が痛みだした。
「くっ」
「利吉さん? どうしたんですか?」
足元から腰へ、そして胸へと這い上がってくる無の波へと沈みかけた利吉の耳に、小松田の暢気そうな声が響く。
そして。
意識が途切れた。
痺れる身体。
濡れた重い服を着せられたようなだるさが、全身を覆っている。
そして。吐き気にも似た苦痛。
息苦しさに耐えきれず、利吉は勢いよく目を見開く。
途端に。至近距離で利吉の顔を覗き込んでいる小松田と眼が合う。
利吉の腹の上に、まるで当然のように馬乗りになっている小松田と。
通りで苦しいはずだ。
『……どいてくれないか?』
苦々しく吐きだそうとして。身体が動かせない事はおろか、声すら出せない事にやっと気づく。
さっと血の気が引く。
そのせいで余計に混乱し、考えをまとめる事もできない。そんな利吉の内心を読み取った訳ではないだろうが、小松田が笑う。
今まで。一度たりとも見たことのない、自嘲気味の笑い。
“まさか”と“ありえない”が、利吉の中でぐるぐると回る。
「利吉さん、苦しいですか?」
じっと利吉を見つめていた小松田が、普段よりも低い声で静かに訊ねる。しかし、何の反応も示さない利吉を気にした風もなく、小松田はゆっくりと顔を近づけてくる。
「ま、答えられないのは、知ってるんですけどね」
そして。そのまま、慄く利吉の唇に、小松田の唇が重なる。
「っ!!」
咄嗟に唇を閉じようとするが、声さえ出せない利吉の意志でできるはずもなく。
小松田にされるがまま、蹂躙される。
抗議したくとも、自分の意志で動くことすらできず。それが余計に神経を昂らせるのか、与えられる柔らかい感触や、直接肌から伝わる温度はくっきりと鮮明に、その存在を利吉の感覚に刻みこむ。
呼吸さえ封じ込められ、利吉の気持ちとは無関係に涙が浮かぶ。
「ずっと、こうしたいって思ってたんです」
ゆっくりと離れた小松田が、静かに告げる。鼻さえ触れそうなくらいの至近距離を保ったまま。
「利吉さんは、気づいてなかったでしょう? いいんです。僕の事なんて端から眼中にないってわかってました。だから。ずっと機会を伺ってたんですよ」
冷たい笑顔。小松田の言葉の意味が理解できない。理解したくない。
しかし、小松田は構うことなく続ける。酷く辛そうに、しかし、楽しげな口調で。
「でも利吉さん、酷いですよ。僕の事なんて眼中にないくせに、警戒だけはして。近寄ることだってできなくて。僕、凄く辛かったんですから。こんな手を使うくらいに」
小松田の手が伸びてくる。頬を包むように触れる手を払いのけたい衝動に駆られるが、気持ちだけではどうにもならない。
「やっと触れた」
うっとりと、陶然とするような声で囁き、利吉の輪郭をなぞるように指を滑らせる。
軽く触れる。それだけなのに。
「ンッ」
だるさの奥に潜む何かが敏感に反応し、身体がびくっと小さく、しかし確かに跳ねる。
「我慢しなくても、大丈夫ですよ」
にっこり笑った小松田が、鎖骨から首筋、そして顎へとゆっくりと辿るようにして、熱を落とす。
触れる熱に。そして、離れる感触に。
背筋を熱いものが走り抜ける。
「ぁっ」
歯を食いしばることさえできず、情けなく掠れ、怯えるような声が、利吉の口から漏れる。そんな利吉の反応に小松田は満足げに、耳元で囁く。
「利吉さんの、その表情。すごく、そそられる」
熱い息で耳をくすぐると、そのまま耳朶を甘噛される。
「……ぁん」
意味を成さないあられもない声が口から飛び出し、身体が一瞬で熱を持つのを感じる。
耳を塞ぎたい。自分の声すら、訊きたくない。
そう思うのに、小松田が執拗に耳を責め続ける水音が、利吉の身体を芯から震わせ、浮ついた声がまるで歓喜のように次々と溢れる。
「その声も。だから、利吉さん。泣かないで」
小松田に舌で拭われて。やっと、利吉は自分が泣いていることに気づかされる。そして。熱を持った舌の感触が、利吉の背筋を震わせる。
「……ぅぁ」
「こんなに感じてくれて、嬉しいです」
心底嬉しそうに笑った小松田が、また利吉の唇を塞ぐ。
そのまま侵入してくる舌の感触。息の根さえ奪われる深い口づけに、頭の中が真っ白に眩む。
「ずっと、我慢してた甲斐がありました」
酸欠で薄れる意識の中で、ただ、小松田の声だけがぼんやりと響く。
「利吉さん、知ってました? 僕、結構確信犯なんですよ」
頭に残るその声は、酷く愉しそうだった。
「……さん、利吉さん!」
ぼんやりと輪郭の曖昧な声と、中途半端な力で、叩くというよりはぺたぺたと押しつけられる感触。覚醒させるには弱くて、しかし、執拗に繰り返される鬱陶しさ。
一方的に溜まる不快感が限界に達して。
利吉は怒りさえ込めて、カッと目を見開く。
「っ」
至近距離から覗きこむ小松田の顔が、利吉の視界を埋め尽くす。その、光景に。利吉は咄嗟に息を呑む。
その頬に。勢いあまった小松田の手が、ぺちんと中途半端な音をたてて叩く。
「あ。利吉さん。大丈夫ですか?」
自分で叩いておきながら、毛ほどの罪悪感も抱かずに、暢気にほわっとした表情で聞いてくる。
普段の利吉なら。
その気の抜けた態度と物言いに苛立つところだが、今は深く安堵の息をつく。
ひどく。ひどく嫌な夢を見た。
夢の残滓のように、身体にじっとりと不快感がまとわりついている。
一体何故あんな夢を見てしまったのか、原因はなんだと思うが、思い悩むのは後でいい。今は、とにかくこの状況を切り抜けるのが先決。
「もー。びっくりしましたよ。利吉さん、急に気を失うんですから。何度も呼んだのに、全然起きてくれないし」
不満げな表情で言葉自体は利吉を責めているが、のほほんとした口調のせいで、微塵も危機感が窺えない。
呆れて二の句がづけない利吉に、しかし、小松田は気にした風もなく、一人で言葉を重ね続ける。
「利吉さんって、細くてもやっぱり僕より重いんですね。運ぶのすごく大変でした」
言われて、やっと身体の下に布団が敷かれているのに気づく。
「ちょっと引きずっちゃいましたけど」
臆面もなく告白して笑う小松田に、利吉も笑う。その笑いはひきつっていたが、小松田は気づかない。
「とにかく、助かったよ。このお礼は今度するから――」
言いながら起き上がろうとして。
身体が脱力したままである事に、利吉は今更、気づく。
しかも。身体の芯が、僅かながら熱を持っている事にも。
「……え?」
あれは……夢じゃないのか?
あの時口に含んだ何かのせい……?
「あ。お礼は今度じゃなくて、今して下さい」
驚きと混乱と不吉な予感が三竦みになって、思考が止まってしまった利吉をよそに、小松田はにこにこと笑顔のまま続ける。全く邪気を感じさせずに。
「僕、どうしても忍になりたいんです。だから、利吉さん。忍術を教えて下さい」
「ちょっと待て! 今って、そんな急に――」
迫るように詰め寄ってくる小松田に、はっと我に返るが、逃げたくても身体が動かない。そんな利吉の腰帯に、小松田は躊躇うことなく手をかける。
「何をっ!」
目を丸くし、素っ頓狂な声をあげる利吉を、小松田はきょとんと首を傾げて見つめる。腰帯から手は離さずに。
「何って……。着てると苦しくないですか?」
のんびりと間延びした声に、利吉は面食らう。
体調が悪い時、身体を締め付けられるのは苦しい。それは、わかる。わかるが、倒れたまま動けない利吉に忍術を教えろと、迫っているその最中に、そこに思い至る小松田の発想が理解できない。
「だ、大丈夫だから」
「……そうですか?」
利吉の強い断定に、首を傾げて多少不満そうな表情はしつつも、小松田は腰帯を解いた手を離す。
「小松田君。申し訳ないが、今日は無理だ。忍術はまた今度――」
「今度っていつですか?」
「え」
「利吉さん、いっつも仕事で忙しいじゃないですか」
「それは……そう、だけど……。でも!」
「そうやって煙に巻こうって魂胆でしょう? 僕だってそう何度も誤魔化されませんよ」
言いながらずいっと迫ってくる。小松田のその瞳には、入門票のサインを求めてくるときの、あの融通の利かなさがはっきりと見える。
仕方がない。
利吉は大きく息をつき、腹を括る。この状況では、小松田を言いくるめるのは無理だ。
「今は、本当に無理なんだ。君がどうこうじゃなくて、身体が動かなくて。だから、教えたくても教えられないんだよ」
「そうですか」
利吉の苦みさえ混じる告白にも、小松田はあっさりと頷くだけ。一体それがどうしたって言うんです? とでも言いたげな調子で。
「だから!!」
頑迷で呑み込みの悪い小松田に苛立ち、つい強い口調で言葉を重ねようとした利吉の顎を、小松田が掴む。
「っ!」
力加減という言葉を知らないのか、小松田の爪が柔らかい部分に刺さり、利吉は鋭く息を呑む。
「あ、ごめんなさい。痛かったですか?」
さすがの小松田も利吉の反応には気づいたらしく、利吉の顎をまじまじと見つめ、傷になっていないか確認するように、そっと指を滑らせる。
その、動きに。
「んぁっ」
不意に肌が粟立ち、忘れていた疼きが甦る。漏れた声にハッと口を抑えようとするが、脱力は続いたままなのを思い知らされるだけ。
慌てて唯一自由になる唇を噛むが、もう後の祭りだ。
「利吉さん……」
なにも考えていないような小松田の瞳に見つめられ、利吉はかっと頬に血が昇るのを意識する。が、それだけで、出してしまった声を無かったことにする事も、誤魔化す事もできない。
視線が痛くて目を逸らしたいが、あと少しで鼻が触れそうな距離に近寄られては、小松田を視界から追い出すには、利吉が目を閉じるしかない。
しかし。そんな事、利吉から出来るはずがない。
苛立ちと羞恥と八つ当たりに近い怒りに固く引き結んだ利吉の唇に、柔らかな熱が押し当てられる。
それは軽く触れただけで、すぐに離れる。
「何を!」
「何って忍術です」
少しだけ距離を置いて、利吉の怒りを不思議そうに見つめた小松田は、当然でしょう、と言い放って、また唇を重ねてくる。
さも自明の事のようにあっさり言い放つ小松田に唖然として、僅かに開いていた利吉の唇の隙間から、舌が差し入れられる。
「んんっ!」
慣れていないのか、小松田の動きに迷いはないがたどたどしい。
それでも。身体の奥に奇妙な熱を抱える利吉には、その熱と感触だけで十分に敏感な粘膜を刺激され、堪えきれない声が漏れる。
それで気をよくしたのか、小松田の動きが少しずつ大胆になっていく。
漏れる水音。
荒い呼吸。
いつも以上に意識される熱と感触。
感覚が、狂わされていく。
甘い痺れが腰の奥で疼く。
息が苦しい。
目が霞む。
頭の中が真っ白になる。
舌が根元から絡められ、逃れられない。
身体が熱い。
抗議しようにも、すでにどちらともつかない唾液に喉が塞がれ、呼吸さえままならない。
「ンンッ!」
苦しくて、切なくて、もどかしくて、涙が溢れる。
それでも。
息苦しさに耐えきれず、利吉は喉を鳴らして、唾液を飲み込む。
「なんで……」
飲みきれずに溢れた唾液が口角を伝う感触。しかし、それを拭うことさえ、今の利吉にはできない。
その怒りも込めて睨みつけるが、僅かに離れた小松田は悪びれた様子もなく、横たわった利吉に覆いかぶさるように移動し、口角から首筋を辿るようにして舌を這わす。
「ふぁっ!」
咄嗟に口を固く閉じるが、堪えきれず鼻から抜ける甘い声。
威厳も何もなく、当然、小松田は止まる気配を見せず、思いつくままに唇を落とす。
その触れた箇所が、熱を持つ。まるで、一つひとつ身体に火を灯されているように、熱くなる。
それでも。甘い痺れと熱にぼうっとなりそうな思考を必死に繋ぎとめる。
「ま、待て! 小松田君! 落ち着いて、冷静になれっ」
利吉の必死に叫ぶ声がやっと小松田に届いたのか、少し上体を浮かせて、小松田は不思議そうな表情で利吉を見つめる。その隙を逃さず、利吉は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「君は忍術を教えて欲しいんだろ! こんな事をしたい訳じゃなく!」
利吉の言葉に、小松田は首を傾げる。利吉の言葉の意味すら分からない、といった表情で。
「そうですよ」
数秒間じっと考え込んでいた小松田は、大きく頷く。
そして。それで話はついたとばかりに、行為を再開しようと、顔を寄せてくる。
「ちょっ! だから! 馬鹿な真似はよせ!」
「馬鹿な真似?」
利吉の言葉に。ぴくんと小松田が止まる。
「これって、馬鹿な真似なんですか?」
「そうだよっ!」
利吉は、間髪いれずに断定する。
考える余裕すら作らせないように。
それが功を奏したのか、みるみる小松田の眼が丸く見開かれる。
ただただ純粋に驚いた、というように。というか、小松田の事だから、本当に驚いているのだろう。
「利吉さん、知らないんですか?」
「は?」
「忍術なんですよ。野村先生に貰った本に書いてありましたから、間違いありません」
「君、さっき大木先生にって言ってたじゃないか!」
「そうでしたっけ? でも、本当に、利吉さん、知らないんですか?」
「ぐっ」
信じて疑わない眼差しの小松田に見つめられ、利吉は言葉を失う。
幸いなこと……なのかはわからないが、今まで利吉は身体を使って仕事をしたことはないし、言い寄られたことくらいあるが経験もない。
ない。
が、知識としては知っている。
しかし。まさかこの状況で、知っている、とは言えない。
「利吉さんでも知らない事ってあるんですね。あ、じゃあ、僕が教えてあげます」
さも名案を思いついた、と表情を輝かせて小松田は宣言する。しかし、それは、利吉には絶望的にしか響かない。
「ま、待て!」
「大丈夫! 貴重な忍術の本でちゃんと勉強してますから、任せて下さい!」
「違う! そういう意味じゃなくて!」
「どういう意味なんですか?」
しどろもどろになって弁明しようとする利吉に、あっさりと問い返してくる。
利吉の中に、殺気に近いものが生まれる。小松田の言動はわざとではないのだろう。が、わざとではないからと言って、これは利吉の許容範囲外だ。
「大丈夫ですよ。僕、マニュアル通りは得意なんです」
ドンと胸を叩く小松田。
利吉は、ここにはいない大木と野村を恨む。一体どっちがそんな本を渡したか知らないが、本当に厄介な相手に渡してくれたものだ。
利吉の意識が逸れたのを敏感に感じ取ったのか、小松田が小袖の前を軽く広げると、利吉の胸に指を滑らせる。
「っ!!」
今まで小松田にされてきた行為と、あの時飲まされた“何か”で、敏感になっている部分に触れられ、利吉の意志に反して身体がびくっと跳ねる。
それに気をよくしたのか、小松田は瞳を輝かせて、小さな突起に舌を這わす。片方をねぶるように舐め、もう一方を指で摘まみ、もみ込み、時折強弱をつけて責め立てる。
「んっ……ぁっ はぁっ!」
本を読んでいるとは主張しても、色事には不慣れな小松田の行為はどこかたどたどしい。その上、知識はあっても経験のない利吉の予想が及ばず、堪えようと思っても、あっさりと甘い喘ぎが漏れる。
「や、めっ!」
「気持ちいいですか? 利吉さん」
逃れたいと身を捩るが、自分の意志では動かず、声さえ抑えられない。
与えられる快感に流されまいと、ギュッと目を閉じ、唇を噛みしめて意識を逸らそうと足掻くが、敏感になった身体は意志とは裏腹に、小松田の指を、舌を、その感触と熱を追う。
「んんっ」
「利吉さん、声、出した方が楽だって書いてありましたよ」
暢気そうな口調で、しかし、いつもより上擦った小松田の声。
利吉の耳を震わす、熱い吐息。
身体を覆う、他人の熱。
肌の、身体の深いところを刺激する感触。
逃れたいのに、逃れられない。
「利吉さんの唇、すごい綺麗。僕、知りませんでした」
うっとりと呟くと、小松田の指が唇の輪郭を確かめるように撫でる。
その感触にさえ、身体の芯の熱が疼く。
「ふぁ……っ」
「声も……肌も……。すごく滑らかで……触り心地がよくて……」
浮ついた熱を潜めた声で、うっとりと肌を撫で回し、唇を落とす。
そして。唐突に敏感な部分に爪を立てられる。
「ひぁぁっ!!」
強烈過ぎる刺激に、悲鳴が漏れる。
しかし、小松田は嬉しそうに口元を綻ばせる。
「利吉さんのその表情を見てると、なんだか腰の奥が疼いて……。何でですか?」
「っ! そ、んなのっ」
答えられる訳がない。
利吉はただ、翻弄され、熱い吐息を漏らす。答えがないことに焦れたのか、小松田は僅かに身体を浮かすと、その手が滑るように下腹部に向かう。
「やめっ!」
小松田の行為を予想し、咄嗟に息を呑んで制止しようとするが、小松田は躊躇う事もなく利吉の袴を取り去り、下帯を抜き取る。
「っ!」
じっと視線が注がれるのを感じて、頭に血が上る。
一瞬で、耳が熱くなる。
自分がどんな状態になっているかくらい、見なくてもわかる。
小松田に翻弄され、感じてしまっている証拠を晒されて。小松田だけでなく自分の存在そのものを消してしまいたい衝動に駆られる。
「ひ、ぁ……!」
「利吉さん、……感じてくれてるんですね」
利吉の中心を柔らかく包んだ小松田が、うっとりと笑う。逃げたいと思うのに、その声にさえ肌が粟立つ。背筋が震える。
「あぁっ……っ!」
柔らかな手つきのまま、軽く上下される。
利吉も男だ。直接刺激されて、反応しない訳がない。
むしろ、仕事一筋で知識はあるが経験がない分、余計に小松田の手に翻弄されてしまい、過剰に反応してしまう。
「こんなにとろとろにして……。僕、嬉しいです」
心底嬉しそうに吐き出すと、躊躇いもなく先端をぺろりと舐める。
「ひゃっ あ、あぁっ……」
逃れようと思うが、口から次々と漏れる自分の浮ついた嬌声が、まるで強請っているように甘く響き、さらに羞恥心が煽られる。
「んんっっ―――!!」
昂った身体は刺激に正直で、利吉はあっさりと達してしまう。
「泣かないでください」
絶頂の余韻と、他人の手によってされたという羞恥とで、動く事も抗議すらできずに、胸を喘がせていた利吉の眼尻に溜まった涙を、小松田が拭う。
達したばかりで敏感になっている身体は、その感触さえきつい。
「ふ、ぁっ……」
「利吉さん、どうしましょう!」
世にも情けない声が響いたと思った瞬間、かなり手荒く腕を掴まれ、ぐいと引き起こされる。しかし、脱力の続いている利吉の身体は、自分の上体さえ支えられずに、小松田の肩に頭を乗せ、胸に取り縋るような体勢になる。
その上、力任せの強引な行為のせいで、鋭い痛みに息さえ詰まる利吉を無視して、小松田は今にも泣き出しそうな声で訴える。
「利吉さんを見てたら……。僕も、変な気分になってきちゃいました。どうしよう?」
救いを求める子犬のような、小松田の情けない声が耳元で響く。
が。
一方的にいかされて、その上どうしようと言われても、利吉にどうする事もできない。
「利吉さんも、して下さい」
黙ったままなのに焦れたのか、小松田は利吉の脱力したまま動かせない手を掴むと、迷うことなく小松田の下腹部に導く。
小松田の言葉通り、下帯越しからでも感じられる熱。達したばかりでより過敏になっている肌には、それがいやにはっきりと脈打っているのが伝わってくる。
「利吉さんも、一緒に」
「やっ ぁっ」
拒否の言葉よりも先に。
利吉の掌に小松田の熱と利吉のとを直に重ねて掴ませると、その上から小松田の手で包み込まれ、穏やかに、激しく、追い上げるように動かされる。
「んっ あ、あっ! ……あぁぁっっ」
敏感になっている利吉の身体にその刺激は強すぎて、熱く濡れた声を抑えられない。
「あ、ぁ……。利吉さんっ 気持ちいっ もっと 利吉さん!」
小松田の、切羽詰まったような熱のこもった声が間近で響く。
こんなにも。こんなにも他人の吐息が、熱が、肌を、その奥を刺激するなんて、知らなかった。
利吉の甘い、強請るような喘ぎ声と荒い呼吸が溶け合い、眼が眩む。
頭が真っ白になり、刺激を追うことしか考えられなくなる。
縋るような声と、甘えるような声が、溢れる。
自分の手の中で大きく形をかえていく熱。
腰の奥から背筋へ、そして頭へと突き抜けていく快感。
自分がしているとわかっているからこそ余計に、絶望が快感を深くさせる。
「利吉さんっ り、きちさんっ!」
「こまつだ、くんっ」
うわ言のように、口から次々と漏れるその声の、意味さえ判然としない。
ただただ。嬌声を上げ続ける。
そして。
「あぁぁぁっっ―――!」
二人同時に、果てる。
一瞬でも、意識を手放してしまう程の快感に、利吉は大きく胸を喘がせて、絶望的な余韻に浸る。
なんでこんな事になってしまったのか、考えることすらできなくて、ただひたすらに、身体から熱が去ることだけを願う。
「利吉さん」
動けないままの利吉を、ひょいと気楽に覗きこんだ小松田は、いつもと変わらないのんびりした調子で、利吉が苦々しく睨みつけることにすら気づいた様子はない。
「利吉さん、どうでした?」
「……こんな事――」
「あ。大丈夫です。安心して下さい。山田先生にも、他の先生にも秘密にしておきますから」
「何をっ」
「利吉さんがこの忍術を知らなかった事ですよ。だから……また、一緒に練習しましょうね。僕もマニュアル読んで、いっぱい勉強しておきますから」
臆面もなくにっこりと笑う小松田に。
「誰が二度とするかっ!!」
大声を張り上げた利吉は、その後、より一層小松田を警戒する事を心に決めた。
「後」へ続く