うりふたつ6


翌早朝、まだ眠る男を起こさぬよう、利吉はそっと起き出す。

部屋の戸口には家人が置いたものか、椿襲ねの小袖と細帯・被衣、それに化粧道具が用意されていた。
それらを抱え、鏡台の前に座る。
そして鏡に映る不安げな表情の自分に問いかけた。




もしも私が。
自分の気持ちを正直に伝えたら、土井先生はどう思う?
親身になって見合い相手を探している父上や母上に知られたらどうなる?
学園の人たちは?
子供たちは?

想いを伝えるだけなら、案外容易いこと。
でもそんな自分の勝手な行動で、学園の和が乱れてしまったら?



冷静に考えれば考えるほど、自分の気持ちは周囲にとって異質以外の何物でもなく。
利吉は静かに呟いた。

「これで…いいんだ。」
“この仕事が終わる頃には。”

柘植の櫛を手に取る。

“貴方に似たヒトから愛されて、それで気が済んで。”

香油で髪を梳き、白粉を施す。

“諦めもついて、自分の心を殺すことが出来ている筈だから。”

目尻と口唇へ紅を差し、襦袢に袖を通す。

“私はまたいつも通り、貴方のいる学園に…行くことが出来ますよね?”
「土井先生…。」
か細い声で眉を顰め、利吉はその名を口にした。




すると、ふと視線を上げた鏡越しに、いつのまにか起床していた男と目が合う。

「利女吉。」
「!…起きていらしゃったんですか?」
「今目を開けたら鏡に佳人が映っていて、もう眠気なんて飛んでしまったよ。大陸の故事に出てくる傾城もかくや…といった風情だ。」

驚きと喜びが入り混じった表情で、御曹司は利吉を腕に抱いた。

「お、お褒めに預かり恐縮です…。」
「そうそう。そんな利女吉にね、早速贈り物をしようと思って。」
「贈り物?」
「無理を言って、昨夜のうちに宿の主に手配してもらったんだ。」


その時だった。

無作法にも襖がガラリと開けられ、見知った青年が立っていた。
拍子抜けするほど、明るい声。ほにゃっとした笑い顔。


「扇子、お持ちしましたぁ。」
「こ、ここここ…小松田くん!?」


闖入者の登場に、思わず驚愕の声を上げる利吉。
しまった!と気づいた時には、既に手遅れで。

「あーっ!りき」
「わーっ!!ちょっとっ!!いいかなっ?」
「それに土井、せん」
「いいから!!」


大慌てで利吉は、小松田の体を部屋から押し出し、後ろ手に襖を閉めた。
どこまでも狂い続ける運命を呪いながら、小声で釘を刺す。

「いいかい!?私は今忍びの仕事中なんだ。他言無用にしてくれないかな?」
「えー!大丈夫ですよ。利吉さんとっても綺麗です〜♪」
「違う!そういうことじゃなくてっ。…お願いだよ、誰にも秘密にして…。」

語尾は既に悲鳴に近かった。

「私は今利吉じゃないし、あの人も…土井先生に似てる別人なんだ。」
「あ!じゃあもしかして、あの人が大名の息子さん??急に扇子の注文が入って、僕実家から届けに来たんですよ〜。」
「…そっか、もう秋休みの時期か…。」

最早、利吉にいつもの剣幕は無い。
小松田自身に理解して貰えたか甚だ怪しくはあったが、信じるより他なく。
部屋に戻って御曹司から明銭を受け取ると、小松田へ手渡した。

「無理を言って届けて貰って…申し訳ないね…。…有難う。」
「いえ、利吉さんもお仕事頑張って下さいね!」


帰路に着く小松田の後姿を、格子越しに眺めた後。
利吉は、彼が届けた木箱を手に取る。
絹の袱紗を捲れば、菊水文様の、それは繊細な意匠の施された扇が納められていた。

「…あ。」
「利女吉、気に入って貰えたかな?」
「…御曹司、こんな…私には過ぎた物を…。」
「国を傾かせる女が、その程度の宝飾品で戸惑うのは良くないな。」

からかう御曹司の笑顔が、不安な心に響いた。
利吉は、伏目がちに微笑んで、初めて自分から御曹司に寄り添う。

美しい着物、美しい小物、そして何より憂いを含む美貌。
今、御曹司の腕の中にいるのは、紛れも無く当代随一の美女であった。



7へ続く

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