うりふたつ8


ここで、話は一旦、数日前の忍術学園に遡る。
学園にも当然噂は伝わっており、山田伝蔵と土井半助の間では、こんな会話がなされていた。


「近頃巷を騒がせている遊女の話、土井先生は聞かれましたかな?」
「ああ、あの大名の御曹司を骨抜きにしたとかいう?」
「私も女装には自信がありますが…さまで噂になるほどの美女、後学のためにも是非見てみたいですなぁ。」
「べ、勉強になるかどうかは置いといて。」
「何ですと!?」
「あっ、いや〜!確かに興味はありますねぇ。」


と、そこまではごく普通の他愛ない世間話だったのだが。
種火に油を注ぐ言葉が投げかけられた。



「あ、それ利吉さんですよぉ。」

声の主は二週間の秋休みを終えて出てきた、小松田秀作。
「「は!?」」
振り返った伝蔵と土井の声が見事に被る。


「ど、どういうことだい?」
「それが〜。秋休み、急な扇子の注文が入って届けに行ったら、女装した利吉さんがいて。御曹司って呼ばれてる男の人と一緒にいたんです〜。」
「あの…馬鹿息子め!!!」


伝蔵はやられたとばかりに、顔を手で覆った。
しかし嘆きの胸中などお構いなく、あっけらかんと話し続ける小松田。


「しかも!その御曹司って人が土井先生そっくりで!!僕もうびっくりしちゃって…って、あーっ!この話、言っちゃ駄目だって利吉さんから言われてたんだった!」


慌て始める小松田を尻目に、土井は目を瞬かせた。
“…私に、そっくり?”
「山田先生、土井先生!僕が言ったって秘密ですよぉ!」


事務員が走り去った後もまだ伝蔵は何やらブツブツと文句を独りごちていたが。
もはや土井の耳には届いていなかった。






更待月が静かに煌々と輝く時分。
土井は結局、寝室でまだ眠れずにいた。

「土井先生にそっくりで…。」

昼間漏れ聞いた言葉が耳を離れず、それを振り払うように寝返りをうつ。
ふと土井の表情が、教師ではなく年長けた男のそれに戻った。
何かしら因縁を感じ、心の底に小さな炎が燃え始める。


土井自身、元は土豪の出自である。
過ぎ去ったことを言っても仕方が無いが、昔日の不遇さえなければ、自分が歩んでいたかも知れない道なのだ。

“出自も容貌も似ている…他人、か。”


都合良く、あと数日もすれば土井にも交代制の秋休みが回ってくる。
これといった予定もないため、興味好奇心の赴くままに、件の御曹司とやらを見物に行こうか。
そんなことを考えていたが、だんだんと思考も眠気に揺らいでいく。



“あぁ…そういえば。”



噂では、傾城に対する御曹司の入れ込みようは大層なものだと聞く。
まぶたを閉じれば、武家姿のもう一人の自分。
傍らには傾城に扮した、袿姿の利吉。

その構図は何故か、違和感無く土井の脳裏に入り込み、奇妙な疼きを生んだ。


“私に似た男に口説かれて…利吉君は何を思うんだろう。”


答えの出ない疑問を抱いて、土井はそのまま眠りに落ちた。






そして休暇第一日目の朝。
秋空の下には、定番だが行商の薬売りに化け、城下に潜入している土井の姿があった。

まずは情報収集…と手近な薬屋の暖簾をくぐると。
「いらっしゃい。」
人の良さげな親父が見世棚の奥から、出て来る。

「最近、何かいい出物はないかい?」
「ああ、最近この国じゃあ薬湯が流行っているよ。」
「へぇ、薬湯。」

店の主は引き出しから、紙の包みを取り出す。
それを広げて、土井の眼前に褐色の粉を出した。

「この調合された粉薬を煎じて、意中の相手に飲ませると。」

親父は得意げに効能を語ろうとしたが、何気なく包み紙にしたためられた文字を見て、土井は驚きの声を上げた。

「ちょ、ちょっと!この包み『利女吉粉』と書いてあるが…?!」
「そうさ。この国で今一番評判の遊女の名前からとったんだ。
 何でもえらく別嬪で床上手で、御曹司もすっかり骨抜きらしくてね。
 それにあやかった…まぁ一種のホレ薬だな!」
「はぁ!?」


変装そっちのけで驚く土井。
噂とは尾ひれがつくものだと分かっている。しかし、火の無いところに…とも言う。
一瞬、床上手という言葉に想像を掻き立てられ、赤面した。
おまけに。


“利女吉じゃ、偽名になってない!!”


と心中で叫ぶ。利子のほうがまだ匿名性も高かろう。

もちろん利吉が、何らかの意図を以って御曹司の側にはべり、遊女としての風評を立てようとしていることは間違いない。
けれど風評は、今や薬の名にすらなるほど派手なものになっている。
知名度が上がるのは結構だが、永久に女装し続けられるものではないのだ。


いずれ収束をつけねばならないのに。
本名と言っても良いような名前を平気で使い、ここまで派手に立ち回るとは!
忍びの本来の領域を超えた行為と言えるだろう。


“どうしたんたよ、利吉君!これくらいのこと、分からない君じゃないだろう!?”


聡明な青年らしからぬ危険な暴挙に、土井は胸騒ぎを覚える。

「お、おい。すまんが、その傾城…どこに行けば会える!?」
「な、なんだい急に。」
「いや…その…行商の土産話に一目!利女吉って遊女を見たくなったんだ。」
「う〜ん…。そうだなぁ、キノコ峠に行くといいかもしれん。
 運がよければ、紅葉の物見遊山をしてる御曹司御一行に会える。」


言った手前、薬は買わねばならなくなったが。
店の主に礼を述べて、土井は足早にキノコ峠へ向かった。




9へ続く

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