君にラッキョの花束を 13


翌朝、目覚めは最悪だった。


「ケホ・・・ケホ・・・ッ…」


ひどく喉が痛む。
一晩休めば良くなると思っていたものが、
逆に悪化しているようですらある。

憂鬱な気分のまま店に出なければならないとはいえ、
一人前の忍びであれば感情を律することが出来て当たり前なのだ。


“風邪ごときで気弱になってるヒマはない…!”


いつも通りの開店準備を済ませ、ツキンと軽く痛む頭を振って、
暖簾を掲げに店先へ出た。

客足も多からず、少なからず。
時折咳き込みはするけれど、何とか普通に接客も出来る。


“この調子で大人しくしていれば…”


人知れず息をついた、その時。
視界の端に見覚えのある人影が映り、私はギクリと振り返った。

「!!」
「よう…」


そこにいたのは、もう来ないであろうと思っていた大木先生で。
正直な話、その時の私は、決して歓迎の表情をしていなかったと思う。

それから次に考えたのは「風邪だと悟られてはならない」ということ。
体調管理すら出来ていないのかと、また学園の生徒のように
余計な心配をかけられかねない。


折角とった距離へ、またズカズカと踏み込まれるのは
どうしても厭だったから。


「い、いらっしゃいませ!」


私は、作り笑顔で挨拶をした。
たくさんの客に向ける態度となんら変わりなく。
ただ一人の喫茶客として。


「利…」
「ただいまお淹れしますので、少々お待ち下さい。
 あ、お客様、いらっしゃいませー!」
「え…」


何か言いかけた大木先生を遮るように
次にやってきた客の応対をする。


父親の同僚。
もうそれ以上に距離を縮めるつもりなどないのだと。
この態度こそが私の答えなのだと、分かって貰うために。


“忙しいふりをして、諦めて帰ってもらおう。”


本当は体調悪化を防ぐために、客との会話は控えたいところ。

しかし、それより今は
大木先生が話しかけてくるような隙を見せないほうが、
より重要に思えた。

幸い、「利子」の周りには常連客が絶えず取り巻いている。
常は疎ましいだけだったが、今となっては
大木先生の視線から自分を守る大事な人垣。

利用できるものは何でも利用する。
その忍びの教えに忠実に。


「利子ちゃーん!お代わり!」
「はぁい!」
「こっちこっち、こっちもお代わり!利子ちゃん!」
「はーい!」


無理を押して、一層明るく振舞う。
そんなやり取りの中で。

やがて大木先生は、お茶を一杯飲み終えると
おもむろに帰り支度を始めた。


“…良かった…諦めてくれたのかな…”


人垣の隙間から様子を伺う。


自分のこの行動が失礼だと多少は良心の呵責もあるが、
とにかく今は独り立ちを目前に控えた時期なのだ。

詫びるのは後回し。
いつか、あの人に振り回されないくらいに一人前になったら。
その時はきちんと話をすればいいだけのことだと。


茶席を立つ大木先生に背を向けた。
と、ほぼ同時。



「り、利子さん…っ!」
「…貴方、は昨日の…」


昨日恋文を渡してきた男が目の前に立っていた。


「あの、昨日の返事を…!」


客へ茶を出す間を見計らい、何度も恋文の返事を求める男。

折角大木先生が帰り支度を始めているこの時に、
余計な悶着を目撃されて「それ見たことか」と居座られてはかなわない。

一計を案じて、男にこっそりと耳打ちする。


「返事はお店が終わってから致します。…ここに居られますと
 私も意識してしまって上手く仕事が出来ません。
 また夕方に来ていただけませんか?」


と。
ついでに手など握って、上目遣いで真摯にお願いすれば、
男は一も二もなく頷いて店を後にして行った。



この頃の、15歳の私は、ある意味で人の情に疎かった。

忍者の三禁を忠実に守る中で、
色恋というものを…いやむしろ、
そういった感情を不用意に抱く人間自体を、倦厭・軽蔑していたのだ。

だから、恋文の答えを望む男は、迷惑以外の何者でもなかった。

男にしてみれば、掛け替えの無い想いだったかもしれない。
けれど、15の私はそれを取るに足らぬ茶番と見做す、
潔癖で残酷な幼さを残していた。



男を見送って大木先生の方をチラリと見ると、その姿はない。

知らず安堵のため息が漏れた。


“……これでいい。”


あとは夕方、さっきの男との茶番を終わらせれば
全部元通りになる。


一安心し体の力が抜けるとともに
頭痛がズキンズキンと襲い始めた。








14へ続く

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