不惑の翌年に。



その昔、
「四十(しじゅう)にして惑(まど)わず」と
孔子は言った。


心に迷いがなくなるべき“不惑”の歳を過ぎて一年。
厚着太逸は今年四十一歳を迎える。



人生を五十年と考えるなら、もう晩年の域だ。

これまでに女房を世話してやろうと申し出てくれる人もいたが、
名や子孫を残さねばならぬ立場でもなく、
また別段不自由も感じなかったので、いまだ独身の身の上である。
妻帯などいまさら考えにくい。


幸いにして、同僚のように単身赴任を憂うこともないし、
寂しさを感じるヒマもない。


若いころに戦さ忍びとして積んだ実戦経験を活かし、
忍術学園・一年い組の実技担任教師として、
慌しくも楽しい生活を送る毎日。


学園内では、
「自他共に厳しい熱血教師」というのが
厚着に対するもっぱらの評価で。

教師という職業に心血を注いでいる身にとっては
最高の褒め言葉だと受け止めていたりもする。










のだが。
平穏の中で、いつからか抱えるようになった、小さな小さな惑い。


生徒たちにはいつも全力で実技訓練をほどこしているつもりなのに、
近頃どこか「落ち着いた」というか「丸くなった」というか。
ぜいたくにも、長い教師生活に馴れ、慢心が生まれたのかもしれない。


無意識のうちに変質していく自分…


小さな惑いは、
教科担当の安藤先生がい組の実戦能力不足を嘆く姿を見て
一気に現実味を帯びた悩みへ変わっていった。










そんなある日。
天災は忘れた頃にやってくる…の言葉どおり。



休み明けの、まだ蝉が鳴く夏の終わりに。
ひょんなことから、生徒たちの宿題が入れ替わる事件が起こった。


学園長の采配のもと
厚着は喜三太救出チームの引率を任される形となり、
内心喜ばなかったといえば嘘になる。


突然与えられた、またとない実戦の機会。

同行の日向先生に報告役をお願いし、
自分がオーマガトキ領に残ったのも、
これで少し自分の中に実戦の臨場感を呼び戻せるかもしれないと
思ってのことだった。

しかも、日向先生の代わりに救出チームに合流したのは、
同僚の一人息子・売れっ子の呼び名も高い十八の青年。

お互い見知った間柄ではあるが、
厚着自身と彼が二人で作戦行動を起こすのは初めてで。
ほどよい緊張感が味わえたこと、
これもまた喜ばなかったといえば嘘になるだろう。



ただ、問題はそこからである。


共同作戦のまっただ中で。
自分は、厚着太逸は。


それまでの悩みが吹き飛ぶような、目が醒めるような衝撃とともに。
久しぶりに、一人の人間に対して特別強い興味を覚えてしまった。


山田利吉という人間をもっと深く知りたい・・・
そんな欲求を自覚してしまった。



厚着は、あまり普段まじない事を信じない方なのだが
ふと気付けば来年は厄年。しかも大厄である。




そう。
平たく言うなら、前厄の年に、厚着太逸は恋をしたのだ。






これは、全ての始まり。
不惑どころか、大いに惑うキッカケとなった
3日間の話である。








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