不惑の翌年に。9



9月も半ば過ぎ、
新学期のドタバタも落ち着いた頃。


約束どおり、利吉は冬物の衣類を届けに
学園へとやって来た。
父親への用事を済ませた足で、厚着のいる教員室へ顔を出す。


一番近くにいた学園教師として先日のお礼を言いたい、というのを口実に
厚着はちゃっかり外出届けも出し終えている。
まぁ本音を言うなら、単に二人きりでまた落ち着いて
話ができる場所が欲しかっただけなのだが。


「利吉君、じゃあ出ようか。」
「はい!」

「昼飯は済ませたかね?どうせ麓まで出るなら途中、馴染みの飯屋がある。」
「あっ、まだなので丁度よかった。それじゃ是非ご一緒させて下さい。」


まもなく午前の講義が終わる時間だ。
生徒たちが付いていくと言い出さないうちに、門を出る。
一段深まった秋が、街道沿いの木の葉をちらほら染め始めていた。


厚着が歩き出すと、その少し後ろを利吉が付いて来る。
こんな時まで礼儀正しいものだ、と厚着の心が早くも緩んだ。


「もう、あの騒動から半月も経ったんだなぁ」
「ええ。早いものですね。」

「君はあれから仕事のほうは無事片付いたのか?」
「はい、おかげさまで。やっと一休みできそうです。」


他愛ないやりとりに、そりゃあ良かったと相槌を返す厚着。
一緒になってオーマガトキ城に忍び込んだのが昨日のことのように思えていた。


「君と分かれた翌日…
 喜三太は、帰りの道すがら終始本当に誇らしげな笑顔を浮かべていたよ。
 フンドシをこう、旗印みたいに列の中心に掲げていたんだ。
 君の一言がなければ、あの笑顔もなかった。」
「そうですか、何事も言ってみるものですねぇ。」


くすくすと利吉は笑っている。


「そういやあの時、君は単なる思いつきだと言っていたな。」


利吉がオーマガトキの堀の水に浸かりながら何気なく出した案は
学園の皆の心をまとめ上げる作戦となり、
10才の少年にとびきりの笑顔と将来に繋がる達成感を与えた。

結果論ではあるが、たった十八歳の“部外者”が
思いつきで成し得た事実に厚着はただ驚いたのだ。

なぜ自然にそんなことが出来てしまうのだろう、と。


「でも―…教師の私も上級生たちも、咄嗟に思い付きはしなかった。
 だから余計驚いたんだ。やはり、君は凄いな。」
「…え」


厚着は、利吉のほうを振り返り、じっと目を見つめて微笑んだ。
そんな賛辞を貰えるとは思いもしなかったのだろう。
利吉はしばしきょとんとした表情を浮かべた後、


「あ、有難うございます。」
「!」


わずかに頬を朱に染めて、花がほころぶような笑顔を見せた。
不意打ち同然の笑顔に、思わず厚着の足が止まる。
すると利吉も同じく歩みを止めて、


「厚着先生にそう言って頂けるなんて、嬉しいです。
 ―――…少しは、厚着先生に近づけたでしょうか?」


そう照れくさそうに呟いた。

まっすぐに向けられた尊敬と憧憬の視線が、トスンと厚着の胸に刺さりこむ。
いけない!と警鐘を鳴らす間もなく。



柔和な風情が。

滑らかな肌が。

豊かな髪が。

若木のような肢体が。

どうしようもなく輝きだした。



“視線が外せない。”


ああ、何という事だろう!
厚着はその瞬間、ただの男であった。

彼の前では、教師ではなく
年相応の甘えを許してやれる「一人の男」でいたいと。
そして山田利吉という才能が開花してゆくさまを
誰より一番近くで見たい、愛したいと思ってしまった。


厚着は想いを認めるに至る。
心底惚れ込んだというのは、こういうことを言うのだろう。



ひと気のない街道に、一陣の秋風が吹く。
あたかも厚着の中の最後の迷いを取り払うかのように、天高く吹き上げて。



“―――・・・ままよ!”


厚着は腕を伸ばし、利吉をすぐ脇の荒れた地蔵堂の影に引き込む。
そしてそのままがっしりと抱きしめた。


「すまない。君に惚れた。」
「…っ」


渾身の力をこめて、両腕で利吉を抱擁する。
身じろぎすら許さないといわんばかりに。
利吉が息を呑むのが分かったが、もう離してやれそうになかった。


目の前に無防備に晒された首筋が、眩しい。
いとおしむようにその弾力ある肌へ顔を寄せる厚着。
利吉はビクリと身を強張らせるが、決して抵抗の意を見せる気配はなかった。


やがて顔を上げ、青年の鳶色の目をまっすぐに覗き込む。
意志の強い、深く澄んだ利発な瞳はそのままだが
目尻がほのかに紅色に染まっている。
怯えにも似た慕情が、匂い立つような色香だった。


たまらず、地蔵堂の濡れ縁に利吉を組み敷いた。

後で思えば押し倒しておいてどの口が…と反省するところだが、
今にも焼ききれんばかりの理性を以って、最後通告のように厚着が問うた。


「―…いいのか?」
「……教えて下さいと、言いました。」
「!」


静かに言い切る利吉の、切れ長の瞳。
オーマガトキ城下のあの夜の戯言は、ただの冗談ではなかったのだと
言外に滲ませるかのような口ぶりだった。
僅かに顰められた眉だけが、少しの戸惑いと羞恥を伝えている。


「利吉、君」
「お慕い…しています」


わななく口唇からたった一言、振り絞られた利吉からの告白に
体中の血が熱く滾り厚着は括目した。

衝動にかられるまま、しばし我を忘れて利吉の上に覆い被さる。
唇を重ね、歯列を割り開き、十八の青年の甘い唾液を貪った。





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