どこにも属さない 5


その後、利吉の体力は順調に回復を見せ、
一人で身体を起こせるくらいまで外傷が癒えてくると、
すご腕は今後について改めて考えるようになった。

助けて恩を売り戦力として利用しようという当初の考えは、
利吉の記憶喪失という予定外の事態により諦めざるを得ない。
記憶をなくしたままでは、忍びとしての利用価値はないに等しくなっている。

かといって、すぐに学園へ知らせて身柄を返してやるのは、
あまりに骨折り損というもので。

ここはひとつ、もう一つの案、“対忍術学園の切り札”として
今しばらく手元に温存しておくことを選ぶのが良いように思えた。


“―――…いや、むしろその方が面白い。”


すご腕は思わずニヤリと笑みを浮かべる。
療養中という名目であれば、匿う大義名分は申し分ない。

利吉と音信が取れず、山田伝蔵を始めとする学園連中が慌てふためき始めたら、
“貸し”を作って返してやるのでも遅くないだろう。

城主にその企てを報告すると、やはりたやすく賛同を得られた。

忍術学園には、騒動を通じて何度か煮え湯を飲まされているし、
ドクササコとして意趣返ししておきたいらしい。

すご腕部下たちもそれを知ると口々に、
学園のやつらの慌てる顔が今から楽しみだと悪餓鬼のようにはしゃぐ。


無論、利吉には、記憶が戻るまでここにいていい、ということしか伝えない。


安堵したような表情で「有り難うございます」と微笑む利吉に対して、
すご腕が感じたのは、ほんの少しの良心の呵責と。

まだ利吉を己の手元に置いておけるのだという安堵だった。



***



こうして。
学園側が慌て始めるまでという期限付きではあるが、
“山田利吉”と共に暮らす生活が始まった。


ただし利吉は、すご腕の言いつけ通り、忍者隊が寝起きする館の奥の間から
外へ出ることは赦されない。

ある程度までは回復したとは言え、さすがにまだ包帯は取れず、
床上げも時期尚早というのが表立っての理由だが。


もう一つ。
極力、人目に晒すのを避けることもまた、外出禁止の理由だった。

日課となった包帯の交換ですら、必ずすご腕自らが行う。


「包帯を替えてやろう。」
「お…お願いします…。」


礼の言葉と共に、おずおずと露わになる白い肌は、
大人でも子供でもない、独特の柔らかな色気を匂い立たせている。

途中仕方なくその肌に触れることがあると、すべらかな十八歳の皮膚は
手のひらに吸い付くような感触を与えて、触れた者の心を乱させる。

自分ともあろう者でも何やら落ち着かないのだ。
出城の警備に当たっている一般兵などが、こんな状態の利吉を目にしたら
自制心を失うことは想像に難くない。


“これは、俺のものだ――…”


自分の中に珍しく執着心が芽吹いたその時。
すご腕の意識を呼び戻すように、ふと利吉が問いかけた。


「あの、私は貴方のことを、これから何とお呼びすれば良いのでしょうか…?」
「……………うん?」


尋ねられた内容に、はたと固まるすご腕。

もともと名前を呼び合うような関係ではなかったのだし、
改めて問われると何と答えるべきか分からない。

以前は確か、「ドクササコのすご腕忍者」と通り名で呼ばれていた気もするが、
すご腕忍者と呼べ…などと自分の口から言うのも馬鹿馬鹿しかった。

好きに呼んだらいいと言おうとして、ある思いつきがひらめく。


「!…そうだな、どうせ記憶が戻るまでここで療養するんだ。
 他の部下と同じく、…お頭と呼んでもらおうか。」


これは、一時的にとはいえ“山田利吉”をドクササコ忍者隊という組織の中に
迎え入れることを意味する。
当然、記憶を失った利吉がそれを嫌がることはない。


「だが、一緒に忍務をしろという意味じゃない。お前、これが読めるか?」


言いながら戸棚を漁って、差し出したのは一冊の漢書。


「部下たちに漢書を学ばせたいが、手ほどきする者がおらん。
 俺とて講習してやれるほど準備の時間が取れなくてな。」


もし漢書が読めるなら、識字に拙い部下たちのために
仮名を振ってくれないか…というのが、利吉に与えられた仕事だった。


「!…大丈夫です。読めます。」


生来、生真面目な性質なのだろう。
自分が何者かも分からず体調さえ優れないと言うのに、
やるべきことが見つかった途端、その瞳はパッと輝きを放つ。


「そうか、良かった。皆も、俺が教えるよりずっと勉強熱心になりそうだ。」


ニヤッと笑って振り返ったすご腕の視線の先に、襖から覗く部下たちの目。
思わず利吉も目を細めて


「頑張ります。お頭。」


とすご腕に向かって頷いた。

至近距離で、自分に向かって真っ直ぐに捧げられるあどけない笑顔。

部下たちが襖越しに「笑った!笑った!!」とはしゃぐ声すら、
どこか遠くに感じるほど。

すご腕は、利吉から視線を外せなくなっていた。






6へ続く

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